大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

福岡地方裁判所 昭和33年(ヨ)398号 判決

申請人 三重野正明 外一三名

被申請人 株式会社岩田屋

主文

一、申請人芳井伸明、同平田秀則、同熊谷高信、同牛尾洋一、同今泉英昭が被申請人に対し雇傭契約上の権利を有する地位を仮に定める。

二、申請人三重野正明、同井手哲朗、同三重野栄子、同八柄豊、同八柄明美、同上杉ミツ子、同進藤恒雄、同松島昭五郎、同直塚桂子の各申請は、これを却下する。

三、訴訟費用中、申請人芳井、同平田、同熊谷、同牛尾、同今泉と被申請人との間に生じた部分は被申請人の負担とし、その余はその余の申請人等の負担とする。

(注、無保証)

事実

第一、当事者双方の求める裁判

一、申請人ら代理人は、

(一)  被申請人が昭和三三年一〇月四日別紙申請人目録(一)記載の申請人に対してなした懲戒解雇の意思表示の効力を停止する。

(二)  被申請人は別紙申請人目録(二)記載の申請人八柄豊に対して金六九八一円を、同八柄明美に対して金五六九四円を、同上杉ミヨ子に対して金五八二四円を、同進藤恒雄に対して金三四四五円を、同松島昭五郎に対し金四八七五円を、同直塚桂子に対し金三二五〇円を、それぞれ支払わなければならない。

(三)  申請費用は、被申請人の負担とする。

との裁判を求めた。

二、被申請人代理人は

(一)  申請人らの申請を却下する。

(二)  申請費用は、申請人らの負担とする。

との裁判を求めた。

第二、申請の理由

申請人ら代理人は、申請の理由として次のとおり述べた。

一、(一) 被申請人会社(以下会社という)は肩書地に本店を有し、昭和一〇年五月一四日設立せられ、現在授権資本九六〇万株資本額一億二千万円、従業員一四〇〇名を擁し物品販売ならびに之に付帯する業務を営む株式会社である。

(二) 申請人三重野正明、同井手哲朗、同三重野栄子(もと堤、以下堤ともいう)、同芳井伸明、同平田秀則、同八柄豊、同八柄明美(もと柴田、以下柴田という)、同上杉ミヨ子は本職員として、申請人熊谷高信、同牛尾洋一、同今泉英和、同進藤恒雄、同松島昭五郎、同直塚桂子は臨時職員として、会社に勤務する従業員であつて、会社の従業員をもつて組織する全岩田屋労働組合(以下全岩労という)の組合員であり、昭和三三年八月当時申請人三重野は同組合の執行委員長、同井手は執行副委員長、同堤は事務局長、その余の申請人らは執行委員の地位にあつたところ、後記闘争委員会設置の際、申請人三重野は闘争委員長、同井手は闘争副委員長、同堤は闘争事務局長、その余の申請人らは闘争委員となつたものである。

二、(一) 会社には、本職員で組織している岩田屋労働組合(以下岩労という)があり、岩労は昭和三二年三月六日に賃金引上、労働協約改訂、その他を要求して交渉の末、三月三一日より争議行為に入つた。一方同年四月三日会社に勤務している臨時職員によつて岩田屋臨時職員労働組合(以下岩臨労という)が結成され、賃金引上と身分保障の要求を提出して、岩田屋労働組合と共同闘争を行い、右争議は福岡県地方労働委員会の職権斡旋によつて五月二二日に妥結した。

(二) 同年六月二四日岩労と岩臨労は上部機構として全岩労を結成し、岩労と岩臨労はそれぞれ全岩労の支部と呼称するようになつたが、それ以前から岩労及び岩臨労に対する会社の切崩しが甚しく、ついに組合員の一部は六月二五日岩田屋従業員組合(昭和三二年一〇月岩田屋百貨店労働組合と名称を変更した。以下岩百労という)という第二組合を作り、全岩労と併立するにいたつた。それ以来、会社の全岩労に対する介入はますます激化し、不利益取扱も行われた。

(三) 全岩労は昭和三三年七月一〇日夏季手当配分と繁忙手当の要求を会社に提出して交渉を行つたがまとまらず、八月二日よりストライキに入り、八月七日福岡県地方労働委員会が、争議行為を中止して自主団交に入るよう勧告したので労使双方之を容れ、組合は同日限りストを中止して会社と交渉を行つたが進展しないので、八月一〇日更に地労委の斡旋を求めると共に交渉を続け、八月一六日妥結した。

三、ところで、会社は昭和三三年一〇月四日付をもつて、別紙申請人目録(一)記載の申請人ら八名に対して懲戒解雇を、同目録(二)記載の申請人ら六名に対して一五日間の懲戒休職処分を行う旨の意思表示をなした。その理由とするところは申請人三重野、井手、堤が就業規則第八二条第九号(第八一条第六号、第一二号)に違反し、同芳井、平田、熊谷、牛尾、今泉が同第八二条第二号、及び第九号(第八一条第六号、第一二号)に違反し、同八柄、柴田、上杉、進藤、松島、直塚が同第八二条第九号(第八一条第六号、第一二号)に違反するとして懲戒処分をなしたものであるが、懲戒処分該当事実として掲げるものは次のとおりである。

(一)  申請人三重野について

昭和三三年八月二日より同月七日まで六日間に亘り組合が行つた不当且つ不法な争議行為につき、闘争委員長として全般的に之が企画、指導並びに遂行の中心となつて本争議を推進し、その実行指揮を行わしめ、一方闘争委員長としてかかる不法行為を容認し若しくは防止することを怠り以て会社業務を著しく妨害し、会社業務に甚大な損害をこうむらしめた。

(二)  同井手について

昭和三三年八月二日より同月七日まで六日間に亘り組合が行つた不当且つ不法な争議行為につき、闘争副委員長として常に闘争委員長を補佐し全般的に之が企画、指導並びに遂行の中心となつて本争議を推進し、その実行指揮を行いまた幾多の不法な行為を行わしめ、一方闘争副委員長としてかかる不法行為を容認し、若しくは防止する事を怠り以て会社業務を著しく妨害し会社に甚大な損害をこうむらしめた。

(三)  同堤について

昭和三三年八月二日より同月七日まで六日間に亘り組合が行つた不当且つ不法な争議行為につき、闘争事務局長として、常に闘争委員長を補佐し、全般的に之が企画、指導並びに遂行の中心となつて本争議を推進し、その実行指揮を行いまた幾多の不法な行為を行わしめ、一方闘争事務局長としてかかる不法行為を容認し、若しくは防止する事を怠り以て会社業務を著しく妨害し会社に甚大な損害をこうむらしめた。

(四)  同芳井、平田、熊谷、牛尾、及び今泉について

昭和三三年八月二日より同月七日まで六日間に亘り組合が行つた不当且つ不法な争議行為につき、闘争委員として有力なメンバーとなり計画、指導、並びに遂行に積極的に参画し、且つ連日活動の第一線にあつて之を指導、実行し、また幾多の不法な行為を行わしめ、一方闘争委員としてかかる不法な行為を容認し若しくは防止することを怠り以て会社業務を著しく妨害し会社に甚大な損害をこうむらしめた。

(五)  同八柄、柴田、上杉、進藤、松島、及び直塚について

昭和三三年八月二日より同月七日まで六日間に亘り組合が行つた不当且つ不法な争議行為につき、闘争委員として有力なメンバーとなり計画、指導、並びに遂行に積極的に参画し且つ連日活動の第一線にあつて之を指導実行しまた幾多の不法な行為を行わしめ、一方闘争委員としてかかる不法行為を容認し、若しくは防止する事を怠り以て会社業務を著しく妨害し会社に甚大な損害をこうむらしめた。

四、しかしながら、前記懲戒解雇ならびに懲戒休職は次の理由により無効である。

(一)  申請人らには会社の主張する就業規則に該当する違法行為がなかつたのであるから、本件懲戒処分は就業規則の解釈適用を誤つたものとして無効である。

(二)  申請人らはかねてから熱心な組合活動家であり、かつ会社が懲戒処分の理由とした事実はいずれも申請人らの正当な組合活動である。本件懲戒処分は、申請人らがかねてから熱心な組合運動家であつたこと、および昭和三三年夏の争議のときの正当な組合運動を理由になされたものである。このような懲戒処分は労働組合法第七条第一号の禁止する不当労働行為として無効である。

(三)  かりに申請人らに若干の就業規則違反の行為があつたとしても、それは些少な非行に過ぎず、些少な就業規則違反を理由に本件のような重い懲戒処分をしたのは、懲戒処分の裁量を誤り、懲戒権を濫用したものとして無効である。

五、会社は別紙申請人目録(一)記載の申請人らに対しては昭和三三年一〇月五日以降まつたく賃金を支払わず、同目録(二)記載の申請人らに対しては昭和三三年一〇月四日以降同月一八日まで(ただし六日及び一三日は除く)の賃金(申請の趣旨第二項記載の金額)を支払わなかつた。申請人らは賃金を唯一の生活の資とする労働者であり、本案判決の確定をまつていては、その間申請人並びにその家族の生活は危殆に瀕すると共に、申請人らの組合活動にも重大な支障を来すので、その損害を避けるため申請の趣旨記載のとおりの仮処分を求める。

第三、被申請人の答弁及び抗弁

被申請人代理人は、右申請の理由に対する答弁及び抗弁として次のとおり述べた。

一、申請人主張の事実中、申請の理由一の(一)、(二)の各事実は認める。同二の(一)及び(三)の事実、同(二)のうち全岩労および岩百労結成の事実は認めるが、その余の事実は否認する。同三の(一)乃至(五)の各事実は認める。

申請理由四、五の主張は争う。

二、本件懲戒処分の理由たる申請人らの行為はいずれも違法行為である。申請人らに対する懲戒処分該当の具体的事実は申請人ら主張のとおり昭和三三年八月二日より八月七日に亘り組合が行つた争議(以下本件争議という)に関連してなされた一連の行為であつて、以下その詳細について述べる。

(一)  本件争議の目的の不当について。

本件争議はその要求において既に不当であり争議権の濫用と目すべきものがあつたが、全岩労の要求ならびに団交の経過は次のとおりである。

(1) 申請人らが所属していた全岩労は、昭和三三年七月一〇日以来、会社に対し、中元賞与の支給に関し諸要求を提示してきたが、之を要約すると次のとおりである。

(イ) 中元賞与の配分として、全岩労に〇・七五ケ月分の源資を配分すること

(ロ) 成績考課による三段階配分は納得出来ない。従つて成績考課そのものを撤廃すること

(ハ) 不就業控除を廃除すること

(ニ) 中元繁忙時手当として、組合員一人一律千円を支給すること

右の全岩労の諸要求に関し、会社は全岩労と七月一三日、一六日、二〇日、二六日の団交を重ねたのであるが、特に全岩労の第一要求である中元賞与〇・七五ケ月分の要求は、昭和三三年五月五日に会社と、全岩労との間に締結された年間協定を無視したもので、労使間の信頼関係をふみにじるものであつた。

即ち、右年間協定は「昭和三三年度の年間賞与は、本職員一、八五ケ月(中元〇・七五ケ月分、年末一・一ケ月分)臨時職員三七日分(中元一五日分、年末二二日分)」と定めているが、右協定の趣旨は会社の従業員全員について年間賞与の源資を一括して定め、右源資は従来の慣行通り各人の考課表に基いて夫々配分せんとするものであり従業員を全岩労、岩百労とに区別して両組合について各々〇・七五ケ月分等の源資を確保せんとするものではなかつた。従つて全岩労のみに対し本職員〇・七五ケ月分、臨時職員一五日分の中元賞与の配分を要求する申請人の要求は右協定に反するものである。故に、会社としては、この点に関する全岩労の要求には到底応じることは出来なかつた。

しかしその他の点に付き、会社は、会社業績よりみて譲歩出来るものは譲歩して円満解決す可く、前記のとおり四回に亘り団交を重ねた結果、次の如き最終態度を表明した。

(イ) 賞与の支給は常に全従業員共通の考課を基準として行われるもので、協定の趣旨よりみて組合別に配分出来るものではなく、このことは従来の慣行であり組合もこのことは充分承知のはずである。

(ロ) 成績考課に基く配分は、長年に亘る会社の基本的事項であり全面的に廃除することは考えられない

然し、組合の要求もあることだから、従来考課配分の段階は五段階であつたのを三段階まで譲歩する

又、当初一律配分は、賞与〇・七五ケ月分の内〇・六五ケ月分とし、残り〇・一ケ月分に付き、三段階の成績考課に基き配分することになつていたものを、一律配分〇・七ケ月分と大巾に譲歩し、考課配分は〇・〇五ケ月分支給まで譲歩する

(結果は〇・七五ケ月の一律配分とほとんど変りない)

(ハ) 賞与支給の公平を期するためには、特定の諸休暇以外の欠勤に付き、控除を行うことは必要であると考える

(ニ) 中元繁忙時手当は、現下の会社業績よりみてこの要求には到底応じられない

(2) この間、全岩労は七月二三日臨時大会を開催して闘争委員会の設置を議決した上、二四日に至り執行委員をもつて闘争委員会を設置し、二六日には組合員の無記名投票によりスト権を確立し、いよいよ不当要求貫徹の態勢をとゝのえた。それに伴い逐次外部労組との連携は緊密の度を加え、その後の団交には、全岩労の闘争委員たる申請人らと共に外部労組即ち福岡県総評、全逓、福教組、自治労、全百地連らの幹部が全岩労の委任を受けて出席し、ますます応援態勢を固めた。

(3) 以上の如く会社としては、当時の情勢上譲歩出来るだけ譲歩したにも拘らず、全岩労は、之を不満として七月二七日に、「八月二日午前八時迄に解決せぬ時は、争議行為に入る」旨の予告を為し、七月三〇日、八月一日団体交渉をもつたが交渉は進展せず、遂に二日午前三時に至り、全岩労は二日より一三日まで連続二四時間ストに入る旨を言い残して、団交を打切つたのである。

(4) かくて全岩労は八月二日より同七日に亘りストライキに這入つた。その間後述するとおり数々の違法行為が行われたが結局、申請人主張のとおりの経緯を経て、地労委の勧告に基き一六日更めて団体交渉が行われ、右団体交渉の席上に於て全岩労は前記の会社最終回答を受諾して争議は終結した。

以上のとおり、本件争議は不当な要求を掲げたものであつて、このような不当な要求貫徹を目的とする争議行為は、既にその目的において違法なものであつて、従つて争議自体違法であることは明らかである。

(二)  争議行為の違法性について。

八月二日より同月七日に至るスト期間中にストの実効をあげる為、組合の行つた争議行為はすべて違法である。以下この違法な争議行為につき具体的に述べることゝする。

(1) ピケツテイング

I 八月二日(第一日目、土曜日)

(イ) 全般

全岩労組合員約二〇〇名及び全逓を初め総評傘下の各労組員二〇〇名計約四〇〇名は、午前九時四〇分までにスポーツセンター横に集合し、午前九時五五分多数の赤旗を先頭に駈足行進にて本館西側に至り西鉄ホーム側各出入口(各出入口の位置は別紙図面参照)に向うピケ班と本館北側口に廻るピケ班との二班に分れ、夫々殆ど同時刻にピケ体制に這入つた。ピケ隊は総員約四〇〇名が七班に分れ一班約五、六十名の編成にて午前一〇時開店と同時に本館各出入口に配置された。隊列は一つの出入口に両側より相対峙して十名乃至十二、三名の労組員が立並び、その背後には二列或は三列四列と重り合い、客の出入のためには人一人がやつと通れる程度の巾しかなくその間隔は五〇センチも無かつた。時と場所によつては三〇センチ程度でしかなかつた。その奥行きは何れも一〇名から一二、三名のスクラムによつて縦に長く固められ、非常に厳重なピケとなつた。各出入口の状況は以下詳述するとおりである。

(ロ) 北側口

北側口では、中に、旗竿ピケが随時見受けられた。すなわち、向い合つた両側の縦隊の最前列の一部の者が、組合旗をはずした四メートル前後の旗竿を横に倒して、腰の高さに持ち(以下旗竿ピケという)、客が押し分けて入店せんとすれば皆でこれをワツシヨイ、ワツシヨイとカケ声もろとも両側より前に押し進め、巾を一層せばめた。このため客は入店しようとして入店出来ないまま引返し、或るときは大口論となり競合いとなつた。

また入店しようとする客が先づ接触するピケの先端にはプラカードや組合旗を押し立て、その附近には組合幹部とピケ指導者数名が常時ピケの指導にあたると共に附近を監視して居り、入店せんとする客に対し威圧乃至いやがらせの言動を執拗にくり返した。また、同北側口は全岩労ならびに支援労組(以下争議団という)組合旗など併せて赤旗八本、プラカード五本が立ち並び、或は交叉して入り乱れ、時には壁面にだらしなく立てかけられその出入口を殆ど閉塞の状態にし、かろうじて入店せんとする者は、ピケ隊やその先端の指導者、組合幹部と口論、こぜりあいをなし、またピケの両側から罵言を浴せかけられたので殆どのものが入店しようとせず、また単独では入店出来ない状態であつた。

尚、客に対し「入口はアチラです」と西鉄ホーム側を指さし客をしてこの北側口はスト中出入口ではない如く思わしめ、更に西鉄側出入口は客が自由に出入出来るかの様な感を抱かしめ(西鉄側出入口でも客の入店が阻止されたことは後述するとおりである)以つて客を偽瞞してその入店を完全に阻止した。

(ハ) 東側口

ピケ隊の状況は大体北側口の事情と似て居り、(但し旗竿ピケを除く)入店しようとする客に対しては数名で取りまき、追い返し、ワアーツと罵倒してつめより、極端に喧噪を極めた。

(ニ) 西鉄ホーム側各出入口

西鉄ホーム側には西鉄ホーム地階口、西鉄ホーム中央口、西鉄ホームコンコース口、西鉄ホーム売店口、西鉄ホーム南口があり、各出入口は西鉄急行電車待合所に面し、而も、西鉄コンコースは新天町方面より西鉄街方面へぬける通路にもなつているところから、こゝにはつたピケのため電車の到着毎に交通は混乱を呈した。警察はその都度整理に当つたにも拘らず、電車待合所では絶えず、而も各所に、客とピケ隊との大口論やもみ合いを生じて交通不能となり、東側出札口並に西側出札口より出て入店しようとする客は路上に溢れ、ピケ隊との間に不穏な情勢が頻繁に起つた。福岡警察署は数回に渉つて組合(三重野委員長)にピケ隊の交通妨害と威力業務妨害とに就て警告、午後三時頃には機動部隊及び制服隊夫々一ケ中隊位が現場に派遣されるに到つたのである。

また西鉄ホーム側は各出入口共に特にピケ隊の動きが活溌であつたが、これと呼応してピケ隊の外側にあつてピケを指導し乍ら附近の入店客を監視して居た指導者や組合幹部は、入店しようとする客が近づくと

「あんたは労働者の敵になり度いとな」

「主人もサラリーマンぢやろが、主人は何と言う会社に勤めとるとな」

「私は因縁つけよるとぢやなかばつてん、一度這入つたら出られんばい」

「それではもつとはつきりした理由を言つて下さい。理由が解らにや這入つて貰つては困ります」

「ストのため食料品は新鮮なものはありませんよ。食料品は腐りかけている。他店で買つたら良いじやないですか、今日は入れられません」

「あんたは解らん人ですな、あんたは岩田屋から頼まれて来たんじやろ、あんたは岩田屋のまわし者としか思われん、今日は入れられん、帰つて下さい。」

などと、客の前面に立ちはだかつて長時間に亘りいやがらせや言いがかりを繰り返したり、或は威圧を加えて追い返した。

この様な所謂「説得」に名をかる悪質な入店妨害は特に西鉄ホーム側は終日続けられ、その都度客との大口論、競合いとなり各所に人垣を作り、尚入店しようとする客に対しては随時ワツシヨイ、ワツシヨイ、ワツシヨイと掛声をあげて両側より客を押し詰めた。このためピケの中でピケ隊員と口論、競合いとなるや、ピケの指導者はピケ隊員の人垣を分けてその客に近づき客を再びピケの外側に引張り出して前記の如き吊上げを繰返し、入店させないようにした。

以上の様に客の入店を不当に妨害したゝめ客と大口論を惹起し西鉄ホーム側では警察の介入制止が屡々見受けられた。特に各出入口においては次のとおりのことが目立つた。

(a) 西鉄ホーム地階口のピケの状況は正午頃よりピケは「く」の字型(鍵の手)に隊列を曲げて張られ而も西鉄ホームの中間にある大円柱にその先端を結ぶようにしているため、出入口は判別出来ず殆ど閉塞されていた。

客が無理に押分けて入店しようとするとピケ隊は口々に「岩田屋の食料品は腐つている、食べたら病気になるばい。」などと身動きのとれない様に取り囲み或は面前に立塞がり威圧を加え、客との口論は絶えなかつた。

(b) 西鉄ホーム中央口のピケでは特に旗竿ピケが見受けられ、その状況は北側口と同様ワツシヨイ、ワツシヨイ、ワツシヨイ、と随時両側よりつめ寄つて入店せんとする客を強く圧迫したので、客は恐れをなし殆ど入店出来ない状態であり、入店を断念する客が多かつた。

(c) 西鉄ホームコンコース口のピケ隊列は「く」の字型になり、その先端は隣接の西鉄ホーム中央口のピケの先端部に接近してほゞ同一の場所になつたり、或る時は多少離れたりした。尚その先端部分附近には多数のプラカードや赤旗と共に数名の組合幹部並にピケの指導者が監視のため態勢を固めて突立つて居り、入店せんとする客に対しては前述のとおり大声で威圧と吊上げを繰返し、その為入店せんとする客との混乱が終日続いた。このコンコース口よりの入店者は殆ど一日を通じて皆無に近い状態であつた。

(d) 西鉄ホーム売店口のピケに於いては、入店せんとする客に対して随時ワツシヨイ、ワツシヨイ、ワツシヨイの掛声をあげて両側よりつめ寄り、或る時は客の腕や袖を掴んで引き戻したり、所持品を引張つて、無理矢理に客をピケの外側に引き戻したり、甚だしきに到つては客のワンピースやスカートの裾をつまみ上げるようないやがらせをし、その客が入店を断念させるやこれをどつと喚声をあげて嘲笑した。また、或る時は客の面前に立ち塞がつてこれを取り巻き遂には入店を断念させるなど、不当な行為が次々に行われたのでこれ等の状況を見た客も恐れをなして入店を断念した。

尚この売店口に於ては北側口、西鉄ホーム中央口と同様な旗竿ピケも見受けられた。

(e) 西鉄ホーム南口

西鉄ホーム南口のピケは約二五名主として女子であつたがスクラムを組んでインターを高唱し向い側の地階口ピケ班と対峙して気勢をあげていた。ピケ隊は二階への階段を、上り口四段目附近まで昇つて居たが、或る時は二、三の者が腰をおろして居り、風呂敷包みなどの争議団所持品が隅に置かれ、ピケの突端は随時完全に閉塞されていた。

II 八月三日(第二日目、日曜日)

(イ) 全般

前日同様、組合員らはスポーツセンター横に集合、三重野闘争委員長の指示があつた後、三列縦隊で赤旗を先頭に押し立てて、ワツシヨイ、ワツシヨイとデモリながら本館に押しかけ、前日同様の要領で開店早々より本館全出入口にピケを張り、赤旗を押立て労働歌の高唱が始まつた。この日、ピケ隊は全逓、西日本新聞労組、自治労等約六〇名を加えて総勢二〇〇名位であつたが、昼頃より争議団の漸増によつて二六〇名位となり益々気勢を上げてきた。初めは前日に比べ、入口ピケの巾は心持ち広くしていたが、午前一一時前後から入店しようとするお客が増えてくると、ピケの巾は昨日同様狭くなり、客に対する暴言罵倒は昨日以上に激甚を極め、入店せんとする客との小競合のため、ピケの巾は前日と全く同様絶えず閉塞された。特に午後二時より午後五時頃までの間は、日曜日ではあり家族づれの客が多かつたにも不拘、その間閉塞状態が頻繁に繰返され、大口論、こぜりあいが絶えなかつた。このため入店しようとしていた客は恐れをなして入店を断念した。

また、ピケ隊は朝の集合時に於ける指示によつて、お客に対しては一層はげしく「労働者の敵はお這入り下さい」「サーピスが悪いから買わないで下さい」と執拗に喰い下がり、入店を極端に阻止し妨害した。

また、ピケの先端にあつて遊戟する嫌がらせ班(全岩労闘争委員と争議団の男子)の数は増加し、或る者はそのピケの中間に立ちはだかつて客の入店を妨害したり、出入口の判別が分らないように先端部で塞いだりしたため、客の入店は前日同様寥々たるものであつた。

(ロ) 北側口

出入口に向つて両側に全岩労女子闘争員及び応援の男子労組員等約四〇名が相対峙して立並び、前日同様の要領で、或る時はワツシヨイ、ワツシヨイと大声で喚声をあげ、入店しようとする客に威圧を与え、または、客が入店しようとしてピケ隊列の中を押し分けて通行しかけると、両側から皆でつめ寄りその客を取り囲んで通行出来ない様にし、客と口論となるやピケ隊列外に居るピケの指導者が近寄つてピケの外側に客を再び連れ出して行つた。その他、客に対する入店妨害の状況は前日と略同様であつた。

(ハ) 東側口

出入口に向つて二列或は三列の縦隊の型で相対峙してピケを張り、其の巾は五〇センチ位の間隔しかなく、又其の奥行きは前日同様約一〇名から一二、三名の深いピケで舗道までつき出ていた。またこの舗道まで突き出た奥深いピケの先端には赤旗数本が押し立てられていた。

(ニ) 西鉄ホーム側各出入口

時間の経過につれピケ隊は次第に増強したが、午後一時頃から争議団が六〇名程応援に来り、本日のピケ隊中最も激烈なものとなつた。特に西鉄ホームコンコース口は斜にピケ隊列を曲げ、すぐ隣の中央口のピケ隊は「く」の字型に隊列を殊更曲げてピケを張つたので、両方のピケの先端部は互いに接触し同じ場所になつたので、その附近は混乱を極め、出入口の判別は一層解り難くなつたばかりか、絶えず閉塞状態に陥入つた。その結果この出入口に於ける客と組合員との口論競合は絶えなかつた。また西鉄ホーム売店口のピケは前日及び同日の午前中までは奥深い直線ピケであつたが、午後からはこの直線ピケを鍵形に変更したので客は出入口の判別が全く解らなくなつた。そこで、客はピケの隊列の外側に停滞し、右往左往の状態であつた。このため、隊列の側面から無理に入店しようとする客とピケ隊とのこぜりあいや口論が随所に見受けられ、ピケの混乱は概ね昨日と同様の状態であつた。さらに、この日、新天町側に向けてラウドスピーカーを設置し「岩田屋で買わないで下さい」「お買物はよそでして下さい」と絶叫し喧噪を極め、西鉄ホーム各出入口ピケ隊の喚声や「御協力をお願いします」と女子ピケ隊員の疳高い叫びとが交錯して、西鉄ホーム各出入口では耳を聾せんばかりの騒然たる状態が終日続いた。

地階口のピケは前日同様出入口と西鉄ホーム円柱との間にピケを二列乃至三列のピケを設けたため客は入口が何処にあるのか全くわからないまゝ右往左往する状態であり入店が阻害された。

III 八月四日(第三日目、月曜日)

この日のピケの総員は二〇〇名程度であつた。ピケの形は略前日と同様、各出入口毎に分厚く、長い縦の列であつたが、午後三時以後は従来のピケと幾分趣きを異にし、縦隊列が稍々くずれて各自スクラムを組まなくなり、数十名の者が雑然と集団をなして出入口を塞いでいた。そこで、前日同様入店客との口論、執拗な取巻きいやがらせなど不当不法の行為が随時随所に引起された。

特に西鉄ホーム側各出入口並びに東側口は、後述するような店内侵入者と課長団との口論や、こぜりあいが始まると、これに呼応してピケ隊が六、七名多いときは二〇名近くが一団をなしてすぐさまバラバラと店内に雪崩れ込み、既に店内に侵入している労組員とともに課長団を取り巻き、大声でわめき散らし、吊し上げ、附近は大混乱を生じ店内通路は遮断された。またそのたび毎にピケ隊員は店内のこの様な混乱に声援を送るため、出入口に立塞つて動こうとせず、出入口を完全に閉塞して客の入店を阻んだ。

さらに、この日午後一時頃西鉄ホーム売店口におけるピケ隊は入店客の面前に立ちはだかつて「何を買いに行くのですか」と行き過ぎな詰問をあびせ、客が「そんなことは自分の勝手で私は地階でも二階でも行く」と答えたのに対し、二、三人の者がつめ寄つて来て取りまき「地階の品物は腐つているから買いなさんな」と虚偽の事実を放言し、しやにむに客の入店を阻止した。

IV 八月五日(第四日目、火曜日)

この日のピケ参加者約二四〇名は前日と同様、各出入口毎に分厚く長い縦の列をつくつた。しかもその線が常にジグザグをえがいて張られたために外よりの見透しがきかず入店しようとする客は出入口の所在がわからずに戸惑い、ピケを押し分けてかろうじて入店したが、前日同様、口論、小競合いが屡々見受けられた。

尚この日ピケ隊はメガホン、ラウドスピーカーを併用して客に買物中止を呼びかけ、協力を求めて絶えず絶叫していたが、その声は極めて喧噪であり特に女子のカン高い声は耳をつんざきその過剰な音量は不快感を与えたため、警察は騒音防止のため組合に警告を発した。

午前一一時過ぎ福岡市警は入店阻止による業務妨害を排除するため警官を派遣、黄色ペンキを以つて地面にピケのラインを設定することによつてピケの隊列が不当に狭まつたり道路に長く突き出たりする事を規正する方法をとるに至つた。

ピケの態様は各出入口共、警察のピケライン黄色ペンキ標識以後は一時その隊列が保持されたが、その後二時間位すると再びピケの巾はせばめられ従前同様に入口の判別が分らなくなつた。その後は警官が巡視に来ると黄色ペンキ標識の線にもどり、警官が去るとまた閉塞するという現象がくり返された。

西鉄ホームコンコース口ならびに西鉄ホーム売店口は前日どおり斜めの隊型でありその改善は行われなかつた。

なお、この日も、午後一時過ぎ頃、西鉄ホーム中央口においては、入店せんとする客、特に子供同伴の婦人を見つけて「岩田屋食堂には赤痢菌がある這入つたら危い」と大声をあげて呼びかけ著しく会社の信用を毀損した。

V 八月六日(第五日目、水曜日)

ピケの人員は若干少くなつたが、ピケの状況は前日と略同様であつた。然し乍らピケ隊員の行動は愈々露骨化し、争議団員を主とするピケ隊員の傍若無人のふるまいや客に対する暴言、威圧は一層ひどくなり、そのため客との紛争は依然跡を絶たなかつた。そして店内への雪崩れ込みにより会社側要員に対する不当な威嚇暴言や吊し上げが一層激しくなつた。

また、地階口は喧噪の度を激化しピケは粗暴であつた。即ち全岩労女子年輩層の闘争員並にその他の争議団数名は、地階食料品売場の方に階段の半分目位の処まで侵入し来り、一斉に口を揃えて「我々労働者のストライキに協力願いまーす」「お買物は他店でお願いしまーす」と大声をはり上げて連呼しその間地階への階段を完全に閉塞して居つた。

VI 八月七日(第六日目、木曜日)

この日、争議参加者は一二〇名前後に過ぎなかつた。従つて各出入口毎のピケ隊の構成は今迄の約半数に減少した。然し乍ら闘争委員会は組合員多数を店内に侵入せしめて職場攪乱或は店内妨害の戦術を採り、店内侵入予定者には予め腕章を取り外してピケ隊列に加わらしめていた。その後間もなく闘争委員会の指示通りこの腕章なしの参加者は会社側の阻止に拘らず午前一一時頃から随時に強行入店しそれぞれ職場に侵入して来た。このほか、午前中は所謂サンドイツチマン(後述)数組が主として本館の周囲を徘徊し、一般市民への教宣活動とピケ隊の激励をやつていた。

午後二時半、全金融(相銀労組)約五〇名は別館前に集合の上、ピケに参加、また午後四時近く、自由労組約三〇名もピケに参加、四時過ぎには全百連傘下労組員約二五名がピケに参加したので、午後よりは次第にピケの気勢が高まり、午後五時以後は特に喧噪を極めた。すなわち、ピケ隊は前記のような新手の争議団を迎えて漸く活気をもり返えし、ワツシヨ、ワツシヨと手を打つて掛声も荒々しく気勢を上げ、次第に興奮状態となり喚き廻り、またピケの先端では赤旗を低く垂れ下げたり向い合せの者と持ち合つたりして出入口を故意に閉塞して客の通行を妨げた。また、ピケ隊員は思い思いに客に対して雑言を浴びせた。さらに、ピケ隊は主として炭坑節、ドツコイシヨ節その他の珍妙な民謡二、三を替え歌として一斉に又は各個に大声を張り上げ、歌詞に個人誹謗の文句を入れ、喧噪混乱、その態度は次第に見るに堪えない数々の乱脈ぶりを発揮した。

(2) サンドイツチマン

I 八月三日

(イ) 午前一一時半頃、一階紳士肌着売場を、争議団員二名が長さ四〇センチ、巾三〇センチ大のボール紙二枚に“只今二十四時間スト中です買わずに御協力下さい”等と書いたプラカードを体の前後に一枚づつたらした風態(以下サンドイツチマンと称する)で、漫然徘徊して居た。これを店外に退去せしむるため高島営業次長が注意をしたところ、サンドイツチマンは「店内を徘徊するのに何が悪いのか文句があるなら団交しなさい」と喰つてかゝりその一人は同次長の左腕を突嗟につかみ、組みつく様な姿勢で後に一〇メートル程押しまくつて来たので附近一帯は人垣となり客の通行は全く出来ず買物どころではなかつた。

(ロ) 同日午後二時頃、争議団数名よりなるサンドイツチマンが四、五組(四、五名を一単位とする)入店して各階を漫然徘徊し、店内通路を妨害して或る時はこれを遮断し、中にはメガホンにより「岩田屋はべら棒に高い」「岩田屋はサービスが悪い、こんな店で買わないで下さい」等大声で客の耳もと近くで連呼して廻り之を制止する課長に向つて喰つてかゝり店内各所に口論、こぜりあいにより混乱をひきおこさせた。

(ハ) このサンドイツチマンは午後四時、五時頃が最も活溌となり一時は約一〇組が各階を徘徊し各所に口論、こぜりあいを惹起した。

会社側課長団は全館的に拡大したこれ等サンドイツチマン、後述の旗竿持込みやピケ隊員の雪崩れ込みなどによる職場攪乱の制止とその入店阻止に追われ、手不足のため一階売場は全く手の施し様もなく、サンドイツチマン部隊などの蹂躙にまかせざるを得ない状態となり、五時半以後の客数は特に急速に減少し全館合せて二〇〇名を上廻ることはなかつた。(六時現在客数調査一七〇名)

II 八月四日

(イ) 前日に引続きサンドイチツマンは開店頃より五、六名が一組となり、その一名は全岩労組合員、他の者は支援労組員、という編成で会社の制止を強引に払い除けて入店し売場を漫然と徘徊した。

(ロ) 午後三時以後のサンドイツチマン隊は漸次一組の編成員の数が増加され、一組最高三〇名以上に及ぶ大部隊となつて各階売場をねり歩いた。その編成員はあらかじめ示し合せて入店時は腕章をとり一般客を装つて各個ばらばらに本館屋上に集合、此処で予め準備して持つて来た腕章を着用し、プラカード(ボール紙で作つたものではなく広い用紙で作つて折畳みポケツト等に入れておく―所謂折畳式のもの)を拡げて着用し、サンドイツチマンに早変りして長く一列又は二列縦隊の列をなし或は通路一杯に横列となつて各階売場を次ぎ次ぎ漫然と徘徊した。

(ハ) 更に、午後五時頃、支援労組員約三〇名は客を装つて屋上に集結、そこでサンドイツチマンに早変りして一団となつて八階より七階食堂に押し入り、食事中の客席の間を練り歩いたり、逐次各階売場の通路を塞ぎ殊更ゆつくり徘徊し「私達の争議解決迄買わないで下さい」等と連呼して廻つた。特に中央階段を降りる際は横列に二列又は三列となつて降りたので、その間一般客の通行はできなかつた。

(ニ) これらサンドイツチマンの一階売場に於ける攪乱作用は、各出入口のピケ隊の声援や雪崩込みと相呼応して愈々計画的に、かつ露骨になり店舗の内外に時を同じくして混乱、喧噪を巻き起した。その結果各出入口は随時完全に閉塞され、一階売場における客の通行と買物は全く妨害された。

III 八月五日

この日、午後一時過ぎ全岩労組合員を含むサンドイツチマンの強行入店が激しく、各階の状況は次のとおりであつた。

(イ) 午後二時半頃、サンドイツチマンの一隊は四階呉服売場をねり歩いていたが、メガホンにて客の耳もとに殊更に「御協力下さい」と絶叫しいやがらせをしたので客と口論となつたが、逆に長時間客を取り巻き吊し上げた。

(ロ) 午後四時五〇分頃には争議団六名より成るサンドイツチマンは七階売場を振り出しに各階を漫然徘徊し、通路を傍若無人に通るので客は之をよけて通らざるを得ない状態で、店内での客との口論が屡々見受けられ、暴言こぜりあいとなり、また、「只今スト中買わずに御協力下さい」と絶叫する声は其の階全部にこだまし客に多大の不快感を与えた。

(ハ) 午後六時過ぎ一階案内所附近にサンドイツチマン四名から五名の者が徘徊していたが、続いて支援労組四、五名から成る一団が東側口より侵入して来た。この一人は赤旗を肩にかつぎ上げ旗の後部両端を二名の者が手に持ち通路を一杯にふさいだまゝ、カツターシヤツ売場の前から商品券売場の前迄デモを行つた。又この頃、サンドイツチマンの他の一団は帽子売場から喫煙具売場の方へ廻り再び薬品売場の方へ引返してメガホンにより絶叫した。

(ニ) 同時刻頃、他のサンドイツチマン約二〇名と他の腕章を佩用した者一〇名計三〇名位の一団が、一階売場の中央部を二列から三列の乱れた列をなして傍若無人にねり歩くので、東口、案内所附近に於いてこれを制止したところ、西鉄ホーム中央口ピケ隊約二〇名は突然店内に雪崩れ込み前記一団と共に通路を完全に塞いだ。このような暴力的振舞いを目撃した来店中の客の大部分は驚いて店を出て行き或は遠くに避難する状態であつたので入店する客は勿論無かつた。

(ホ) 同時刻頃六階売場を江口会計課長が巡視中三人組サンドイツチマンを発見したので、退去するよう申し渡したが聞き入れず、反つて喰つてかゝり同課長を押しのけて徘徊を続けた。その内二人組乃至五人組位のサンドイツチマン隊が別に二組現れて来たので課長一人では手の施しようがなかつた。

(ヘ) 更に右時刻頃三名から五名を一組とするサンドイツチマン隊五組位は或る時は合流し或る時は夫々離れて一階ネクタイ売場附近を漫然徘徊するので、戸島奉仕課長、伊藤外商課長が退店を申し渡したが衆をたのんで大声で喰つてかゝり、体でジリジリ押して来て集団の力をもつて威圧を加え、退去するどころかネクタイ売場の一帯を殊更に蛇行して廻るので客は長時間に亘り全く寄りつく事が出来ず、ケースを離れて難を避けた。

(ト) 午後六時二〇分頃西鉄ホーム中央口より五名のサンドイツチマンが強行入店したが既に入店していたサンドイツチマンと合流し、その数約三〇名位になり一階売場をあちらこちら通路一杯になつて徘徊し、更にメガホンにより「ストに御協力下さい」と大声で連呼して廻るので、客は自然追いやられるような恰好となり、買物が全くできない状態となつた。更に同時刻頃一階売場にサンドイツチマン隊七名が侵入し徘徊し始めたので課長団は店内に出すべく強硬に申し渡したところクモの子を散らすようにバラバラになつてゆつくり練り歩くので、客の通行を極度に邪魔して手のつけ様がなかつた。

(チ) 尚同時刻頃四階紳士服売場並に呉服売場にも二組のサンドイツチマンが漫然徘徊し客を追い廻す様にぐるぐるとねり歩いた。

(リ) 午後六時二〇分頃全岩労組員某はサンドイツチマンとなり、一階売場を徘徊し続いて中央階段を昇つて行つたが八階特売場を練り歩き(外に男子一名附添)最後に八階友の会受付に至り、その二名は同受付前に立ち塞がつて友の会員の入金をことさらに邪魔し業務を妨害した。

IV 八月六日

(イ) この日、昼過ぎ全岩労男子組合員二名、午後一時過ぎには同女子組合員一名がサンドイツチマン姿で侵入し一階を漫然徘徊した。

(ロ) 午後四時以後は前日と略々相似たサンドイツチマンと職場攪乱のための各種の強行入店があい次ぎ、午後五時より六時迄の各階の混乱状態はこの日の最高潮となり、特に一階、地階の販売業務は約一時間に亘り殆どマヒの状態となつた。

すなわち、午後四時一五分頃、争議団の三〇名位は客を装つて各個に入店、屋上に集結し、ここでサンドイツチマンに早変りして(折畳み式プラカードを着用)一列縦隊に長い列をなして八階特売場より逐次各階を漫然徘徊し、午後四時半頃六階売場を三〇名から成るサンドイツチマンの大部隊で二列或いは三列になつて店内を漫然徘徊し、客の通行を妨害し、客との口論、こぜり合いを起して店内を混乱させ、さらに一階売場まで降りて来て一階で大混乱を惹き起した。

(ハ) また、午後五時三〇分、一階紳士肌着売場前の通路でサンドイツチマン隊は課長団との口論こぜりあいを惹起し、その際、争議団の二名が客を装つて、その中に乱暴に割り込み、「お客に無礼を働く課長は誰か、名前を言え」「課長、警察に一寸来て呉れ」と怒鳴つて故意に大声で気勢をあげ営業を妨害した。

V 八月七日

午後二時過ぎ支援労組の一名のサンドイツチマンが侵入した。これを課長団が阻止したところ、サンドイツチマンは二階への階段に坐り込み、これに呼応してピケ隊員の数名が侵入して座り込みを防護する如く課長団の前に立ちはだかつた。その間ピケ隊は大声をあげてそれらの者に声援を送つた。この為に客の入店通行は全く不可能となつた。

(3) 旗または旗竿持込み侵入

(イ) 八月三日午後三時半八階で支援労組員全逓労組旗(一メートル四方のもの)を水平に拡げて四人でもち、「働く者の二十四時間ストに御協力下さい」と大声を発して徘徊し、売場通路を完全に塞いでいた。尚後続の争議団員約八名は一列縦隊でこれに長く続き会社係員が制止すると、これを取り巻いて殊更わめき散らした。

(ロ) 同日、午後四時半より六時の間に亘つて強行入店した旗竿持込みの一団(全岩労組員一名乃至二名、その他の争議団五名乃至一〇名位のグループ)は、四メートル長さの旗竿を両側より腰の高さに持つて一組或は二組で一階売場をジグザグに徘徊し、各員は交互に大声で「ストに御協力下さい」「岩田屋で買物しないで下さい」等と叫び廻るので、こわがつて買物中途で止めて別の個所に逃げて行く客或は買物を止めて出て行く客が見受けられた。

(ハ) 午後六時過ぎには争議団約三〇名の一団は組合旗を前に倒し、これを先頭に仕立ててサンドイツチマン数名と共に地階食料品売場に会社側の制止を払いのけて雪崩れ込み、各自メガホンを口に当てて大声で「ストに協力して下さい」「岩田屋で買物をしないで下さい」等と叫び狭い通路を殊更にゆつくりと一列に長い列をなして蛇行したので通路は各所でふさがれ、客は逃げ廻つた。

(ニ) さらに六時四十分頃支援労組員五名が一団となり、その先頭の者は長さ約四メートルの旗竿(組合旗をつけたまゝ)を前に倒して西鉄ホーム中央口より課長の制止を振切つて入店し、一階売場をゆつくり約二〇分間徘徊し地階に下りた。

(ホ) この日正午頃、会社は、既に初日より別館、本館各出入口に実施していた争議参加者の立入禁止の掲示のほかに、竹竿、プラカード、棒などの店内持込みを禁ずる旨の掲示を本館各出入口に公示すると共に店内放送も繰り返したが、組合はこれを無視して前記行為を強行した。

(4) 店内乱入事件

I 八月三日

午後二時頃西鉄ホーム中央口より三重野委員長、八柄闘争委員ならびにこれに随行した争議団五、六名は、これを阻止しようとした会社課長団の制止を押しのけて侵入し、課長数名を強引に取り囲み、吊上げた。これと相呼応して同出入口のピケ隊員は「委員長ガンバレ」の声援を送り、さらに店内に侵入した。その数は約三、四〇名に及び、喧噪を極め、ために一階薬品売場前は大混乱を呈し、ガラスケース、陳列ガラス、戸棚等の器物破損の危険を生ぜしめた。この間、客の出入口は完全に閉塞され、入店中の客も遠く避難した。

II 八月四日

(イ) 午後一時、三重野闘争委員長と平田闘争委員が西鉄ホーム中央口より店内に侵入して来た。直ちに課長二名が之を制止したところ、「用事があつて這入るのが何が悪いか」と喰つてかゝつた。これをきつかけにして同出入口のピケ隊より数名が応援のため雪崩れ込み、高島次長等とこぜりあい口論となつたところ、更に総評豊瀬事務局長と争議団員数十名が雪崩れを打つて駈け込み、課長団を逆に取り囲む様にして奥に押しまくつた。ために交通公社前は大混乱となり、警官がこれを制止してようやく納まつた。その間約二〇分売場の営業は完全に停止された。

(ロ) 同時刻頃、人事課梅野副主任は東側口より侵入して来た熊谷闘争委員が吉原課長を押しのけて強引に店内に侵入しようとしたのでこれを撮影したところ、これを見付けた熊谷闘争委員は梅野副主任を追いかけこぜりあいとなつた。この時堤事務局長ら争議団四、五人がいち早く駈け込んで来これをきつかけに更にピケ隊員十数名が北側口よりどつと雪崩れ込み、課長をつゝきまわした。このため鞄売場前は一時混雑し北側口は完全に閉塞された。

(ハ) 午後三時頃西鉄ホーム中央口より平田闘争委員は支援労組員四名から成るサンドイツチマンを誘導し入店して来た。三浦課長がこれを制止したところ強引に一団となつてこれを押し切ろうとした。この機会をとらえて争議団二〇数名が雪崩れを打つて駈け込み、課長団を店内深く押し返したため、一時客の出入口並に薬品売場前附近は混乱し客の入店は全く出来ず勿論営業どころではなかつた。

(ニ) さらに午後四時頃、北側口より約四〇名の争議団が組合旗を先頭に、四列縦隊の隊形を以て各自口々に「此の店は高いから品物を買わないで下さい」「此の店はサービスが悪いから他の店で買つて下さい。」とメガホンなどで叫び乍ら店内に侵入し、制止も聞き入れず押し切つて客用エレベーター前迄行進し、大部分の者は旗竿に組合旗をつけたままエレベーターに乗つて上つて行つた。

III 八月五日

午後六時二五分頃争議団六名は一階喫煙具売場迄侵入し、東側から出るかと思えば右に廻り、さらにエスカレーターの方向に廻つた。居合せた会社側の者は店外に出るよう強く要請すると、これに呼応してピケ隊が西鉄ホーム中央口より店内に雪崩れ込み、既に侵入していたサンドイツチマン一五名がまたこれに合流してともに店内を徘徊し、交通公社前で之等を阻止せんとした野田秘書役、高島営業部次長等を吊し上げ営業を極度に妨害した。

なお、交通公社前の混乱の際警察は組合に警告し、ようやく納まつた。

IV 八月六日

午後三時頃店内に侵入していたサンドイツチマンを会社課長が制止して西鉄ホーム中央口より店外に退去させようとするや、これを見たピケ隊列の約一〇名が現場に雪崩れ込み、課長を取り巻き押しまくり吊し上げた。そのため、一時附近は十重、二十重の人垣となり、この為売場硝子ケース並びにケース台上の陳列品が破壊される危険な状態に陥入つた。この間ピケ隊は喚声をあげて入口の中まで殺到したので客の出入する通路を完全に閉塞した。

さらに午後五時頃、サンドイツチマン三〇名の大部隊が一階を徘徊し出した際、これを退去せしめんとする会社側との間にこぜりあいを生じ、大混乱となつたところ、西鉄ホーム側並びに東側出入口のピケ隊は大挙雪崩れ込んで衝突となつたので一階の大半は全く営業ができなくなつた。

(5) 領収証事件

八月五日午後五時頃三名程のリーダーに伴われた約五〇名の支援労組員が一団となつて地階食料品売場に駈け込み、先づその一人が六〇円のチヨコレートを買い、会社の渡すレシートを不満として社印押捺の領収証を強要した。佐藤課長、黒田課長、横尾副長等が「現金買上げの際はレシートまたは御買上げ明細書が正式領収書として認められておる」と説明するや、「私達は自由労務者だから領収書も岩田屋は呉れないのか」と声を荒立てゝ「領収証でなければいかん」と強要するばかりか、「皆さん、私達は自由労働者なるが故に領収証さえ貰えない」と演説口調に声をはり上げてお客に叫びちらした。これに呼応してこの一団の者は其処を動こうとせず、「岩田屋はべら棒に高い」「岩田屋で買物はされぬ」等わめき乍ら約二〇分余に亘り客の通行と買物を妨害した。暫くして来合せた警官に注意されてやつと動き出したがさらに素麺売場に廻り買物を始め、素麺一把(一〇円)を買つて再び領収書を一斉に強要した。その場にあつた警官が右の状態を撮影したところ、その一団は右警官を包囲して暫く吊し上げ、そのため地階は午後六時に到るまで喧噪を極めた。

(6) 店内での宣伝活動

I 八月三日

全岩労組合員はひそかに各個入店し、就労中の岩百労組合員に対し「組合に復帰せよ」とか「仕事を止めよ」と呼びかけを行い、随時、随所において会社の業務を妨害した。

II 八月六日

午前一一時頃より就労中の岩百労組合員に対する全岩労の宣伝活動は急速に活溌に行われだした。支援労組を中心として営業中の店内でのビラ配付や話しかけが公然と行われはじめた。また一方各階五、六名宛の全岩労別働隊は腕章を取り外してひそかに各個に侵入し、就労中の職員に対し話しかけを行つた。

午前一一時二〇分より五〇分頃迄争議団二、三名は六階、七階、八階に亘つてビラ配付をした。特に支援労組の一員はビラをハンカチに包んで七階百円均一売場のサークル内(陳列ケースの内側)に立入り、ビラを配つて就労中の女子職員の仕事を直接妨害した。このようなビラ配付や話しかけが有形無形に営業の妨害となることは明かであつたので会社は一二時店内放送を以て斯る行為を禁止する旨再三繰返し伝達した。にも不拘、昼過ぎ、争議団の数名は地階食料品売場で就業中の女子店員に対し全岩労の宣伝活動のため執拗に話しかけ、その業務を直接妨害し、また組合ビラを点々とガラスケースの上に十数枚宛まとめて配置して立去つたりした。

以上の如く争議団数十名は売場に侵入し、就業中の従業員に対しビラを配付し或は話しかけて就業を妨害し店内を徘徊して職場の秩序を紊乱した。

III 八月七日

(イ) 朝の集合時に於ける指示によれば、店内入店はすべて腕章を取外して入店するよう指示され、午後一時半頃より争議団の数が増加するにつれ次々腕章を外して入店する者が目立つた。また全岩労女子組合員の腕章なし入店が急激に増加し、特に之等の者は就労中の岩百労組合員に対し全岩労の宣伝活動をなし、直接会社業務を妨害する行為が各階に広まり表面化して来た。

(ロ) 午後五時より六時の間には全岩労組合員数名は食料品売場一階、二階売場に侵入し約三〇分間程徘徊して就労中の岩百労組合員に対し話しかけを行つた。

(三)  本件争議における申請人各自の行為について

前述の如く、七月二三日全岩労の臨時大会において闘争委員会が設置せられ、申請人らがそれぞれ正副闘争委員長、闘争事務局長、闘争委員となつて、闘争期間中中央本部の事務一切は闘争委員会が執行することゝなつた。かくして、申請人らは闘争委員として前述したような違法な争議行為に関与したものであるが、以下、申請人ら各自に分つて、懲戒処分該当の事実を述べる。

(1) 申請人 三重野

I 争議行為の企画、指導について

(イ) 八月一日闘争委員会に於ては翌二日午前八時よりの争議行為についても岩百労組合員約一、〇〇〇名に対してはその就労の為の入店に際してはピケを全然張らず、専ら客の入店阻止ピケ戦術を採ることを定め、次いでその後の戦術会議においてサンドイツチマン店内漫歩団の編成、之等による店内の混乱、喧噪戦術、続いて領収証強要戦術等を決定したのである。

(ロ) 八月二日、三日、四日、午後一時より午後四時の間は営業中の本館各階に侵入徘徊し、店内戦術の直接指導を行つた。

(ハ) 八月三日午前九時三〇分頃スポーツセンター前(準備書面には教育会館前とあるがスポーツセンター前の誤記と認める)にスト参加員全員を集合せしめ、昨二日の二十四時間ストの成功と協力を謝し、更に強力な態勢を以て進むための指示を行い争議手段につき詳細に指示した。その後七日に至るまで毎日ピケを巡視し争議を指導激励していた。

(ニ) 八月二日警察署より招致され組合の行動は威力業務妨害の疑いが濃厚であるとして自主的に改善する様警告を受けたにも拘らず三重野は之を改めることなく翌三日も依然として組合の行動は変らず顧客に対して不当に罵言、威圧等を加えさせ、執拗に入店を阻止又は妨害せしめた。

II 自身の行為について

(イ) 八月三日午後二時頃一階西鉄ホーム中央口より三重野は八柄闘争委員らと共に争議団員数名を伴い入店して来たので会社側はこれを阻止した処之に反抗し、これに相呼応して西鉄ホーム中央口のピケ隊は会社内に乱入し薬品売場附近を混乱に陥れた。

(ロ) 八月四日の午後一時会社側の制止を排して西鉄ホーム側より強引に入店し其の出入口を殊更混乱せしめてピケ隊の雪崩れ込みを誘発せしめ営業を妨害した。尚雪崩れ込んだピケ隊と共に課長を取り囲み課長等を吊し上げた。

III 以上を要約するに昭和三三年八月二日より同月七日まで六日間に亘り組合が行つた不法な争議行為につき闘争委員長として之が企画指導ならびに遂行の中心となり、連日ピケの第一線にあつて本争議を推進しその実行指導を行い争議参加者の違法行為を防止せずかつ自も違法行為をなし以て会社業務を著しく妨害すると共に会社の信用を毀損し会社に甚大な損害を蒙らしめた。

以上の行為は就業規則第八二条第九号(第八一条第六号、第一二号)の懲戒解雇事由に該当する。

(2) 申請人 井手

I 争議行為の企画、指導について

(イ) 前示、三重野闘争委員長のIの(イ)と同じ

(ロ) 八月二日午後一時半頃より闘争委員長三重野正明と共に別館地下道を経て本館に侵入し、本館各階を徘徊し店内の情勢を監視し、採るべき業務妨害行為の準備をした。

尚外にあつてはピケ隊を巡回し激励煽動して居た。

(ハ) 八月三日より七日に亘る間、強行入店したサンドイツチマンの店内妨害行動を指導し、ピケ隊の店内乱入に際し、之を制止する会社側に対して吊上げを行い店内乱入を容易ならしめた。また外部労組員のサンドイツチマンに対しては激励していた。

II 自身の行為について

ピケ隊の店内乱入に際しては之を制止する会社側に対し吊上げを行つた。

III 以上を要約するに昭和三三年八月二日より同月七日まで六日間に亘り組合が行つた第一項記載の如き不法な争議行為につき闘争副委員長として闘争委員長を補佐し、之が企画、指導並びに遂行の中心となり連日ピケの第一線にあつて本争議を推進し、その実行指揮を行い、争議参加者の違法行為を防止せずかつ自らも違法行為をなし、以て会社業務を著しく妨害すると共に会社の信用を毀損し会社に甚大な損害を蒙らしめた。右の行為は就業規則第八二条第九号(第八一条第六号、第一二号)の懲戒解雇事由に該当する。

(3) 申請人 三重野(堤)

I 争議行為の企画、指導について

(イ) 前示、三重野闘争委員長のIの(イ)と同じ。

(ロ) 八月三日午後一時頃より西鉄ホーム売店口に於いて臨時架設のマイクを通じて違法ピケ気勢を煽り各出入口のピケ隊員を激励した。

(ハ) 同日午後二時頃二名のサンドイツチマンが東側口より店内に侵入したので会社側は之を制止したところ強硬に抵抗をし、大声で会社側を罵倒し争議団が之を応援したため大混乱となつた。警官二名が之を見兼ねてサンドイツチマンを店外に連れ出し天神町交番へ連行中二名は突如全岩労の事務所へ逃げ込んだ。警官は之を追跡したところ堤が之を阻んだ。

(ニ) 八月五日午後五時二〇分以降は西鉄ホーム側ピケ隊の前面にあつてこれを指導しピケ隊員の店内雪崩れ込みを指揮し自らもまた侵入した。

(ホ) 争議期間中毎日午後七時頃より組合事務所前の窓に臨時架設したマイクを通じて事実を殊更歪曲し悪質な会社誹謗を行つた。

(ヘ) スト中随時各ピケ隊を巡視して之を激励した。

II 自身の行為について

(イ) 八月三日午後一時頃より店内に侵入、就労中の従業員に対し執拗に話しかけて就労を妨害した。

(ロ) 八月四日午後一時頃東側口のピケを指導していたが、会社が偶々熊谷高信闘争委員の強行入店を撮影したため同人と会社側との間に紛争が起り、混乱を生じた際ピケ隊男子労組員四名を伴れて現場に入店、「フイルムを渡せ」と強要し混乱を拡大して鞄売場通路を塞いだ。

III 以上を要約するに、昭和三三年八月二日より同月七日まで六日間に亘り組合が行つた第一項記載の如き不法な争議行為につき闘争事務局長として闘争委員長を補佐し、之が企画指導並びに遂行の中心となり連日ピケの第一線にあつて本争議を推進し、その実行指揮を行い、争議参加者の違法行為を防止せずかつ自らも違法行為をなし以て会社業務を著しく妨害すると共に会社の信用を毀損し、会社に甚大な損害を蒙らしめた。

右の行為は就業規則第八二条第九号(第八一条第六号、第一二号)の懲戒解雇事由に該当する。

(4) 申請人 芳井

I 争議行為の企画、指導について

(イ) 前示、(1)のIの(イ)と同じ

(ロ) 八月二日より七日までの間は連日本館各出入口ピケ隊を巡回、指導、士気を鼓舞すると共に自らもカメラマンとなつて強行入店し店内を撮影した。

(ハ) 八月二、三、四日間は主として西鉄ホーム側に位置し客の入店阻止を指導した。

(ニ) 八月四日午後四時、東側口より強行入店、会社はこれを阻止するやピケ隊は店内に向つて申請人芳井を応援し、為に東側口は混乱し、閉塞された。

而も争議期間中常時カメラマンとなつて会社側の制止を排し強行入店し会社側の阻止を誘発してピケ隊を雪崩れ込ましめた。

(ホ) 八月五日午後六時過ぎ頃、西鉄ホーム中央口より争議団約三〇名が店内に雪崩れ込み、さらに他の出入口から侵入したサンドイツチマン一五名が之に合流して薬品売場前通路を混乱せしめ、之を制止する会社側に体当りをなさしめ、闘争委員として之を指導激励した。

(ヘ) 八月二、三、四日は主として西鉄ホーム側に位置しピケ隊の指導に当つて居たが八月二日午前一〇時頃西鉄ホーム中央口ピケ隊の先端部にて客の出入口中央に立ちはだかりメガホンを以て客に「岩田屋での買物はしないで下さい」と通路を頑強に塞ぎ両手で客の入店を阻止したので客がしかたなくピケの中途から引返されるやピケ隊にどつと喚声をあげさせた。

II 自身の行為について

(イ) 八月二日正午頃西鉄ホーム中央口並びに西鉄ホーム南口で闘争委員数名と共にピケの先端にあつてメガホンにより入店せんとする客に対し大声を上げ「労側者の敵は這入りなさい」と威圧を加え入店を阻止しピケ隊を煽つた。

(ロ) 八月四日午後三時頃一階エレベーター前に於いて大声にて課長団を吊しあげ更に雪崩れ込んだ争議団員七、八名と共に店内で喚声を挙げ、売場を喧噪混乱せしめた。

III 之を要約するに昭和三三年八月二日より六日間に亘り組合が行つた第一項記載の如き不法な争議行為につき闘争委員として之が企画、指導並びに遂行に参与し連日ピケの第一線にあつて本争議を推進しその実行指揮を行い争議参加者の違法行為を防止せず、かつ自らも違法行為をなし以て会社業務を著しく妨害すると共に不当に会社の信用を毀損し、会社に甚大なる損害を蒙らしめた。右の行為は就業規則第八二条第二号、及び第九号(第八一条第六号、第一二号)の懲戒解雇事由に該当する。

(5) 申請人 平田

I 争議行為の企画、指導について

(イ) 前示(1)のIの(イ)と同じ

(ロ) 八月二日より七日まで闘争委員柴田らと共にピケ隊を指揮し気勢を煽つた。

(ハ) 八月四日午前一一時頃西鉄ホーム売店口ピケの先端でサンドイツチマン姿をしてメガホンをもち「岩田屋の品物は高い」「岩田屋はサービスが悪い」等大声を出して会社を誹謗しピケ隊と共に客の入店を妨害し、特に婦人客に対して威圧的に執拗に入店を阻止した。

(ニ) 八月四日午後三時頃争議団員五名よりなるサンドイツチマン隊の先頭に立つて之を誘導しながら西鉄ホーム中央口より強行入店し三浦用度課長の制止に対し罵言をあびせ一団となつて這入り、之に呼応してピケ隊員二〇数名が店内に雪崩れ込み出入口は完全に閉された。

(ホ) 八月五日午後五時頃会社側は入店した三名のサンドイツチマンを一階店内案内所附近から東側口の方へ退去させようとしたところ、申請人平田は闘争委員熊谷と共に東側口より侵入して会社課長らを吊し上げサンドイツチマンの退去要求を妨害してサンドイツチマンをして店内を徘徊せしめた。

(ヘ) 八月五日午後六時頃西鉄ホーム中央口よりピケ隊員約三〇名が店内に雪崩れ込み、さらに他の出入口から侵入したサンドイツチマン一五名が之に合流して薬品売場前通路を閉塞混乱せしめ、会社側の制止に対し体当りを加える等暴行を為した際闘争委員として之を指導激励した。

II 自身の行為について

(イ) 八月三日午後三時東側口より強行入店し、商品券売場前にて之を制止する課長に対し体当りで押しまくつて威圧を加え「課長だからと言つて大きな顔をするな」と口汚く罵つた。

(ロ) 八月四日午前十一時頃西鉄ホームコンコース口から強行に入店し、メガホンにより客に対し「この店は高い」「この店はサービスが悪い」等と店内を大声にて連呼して廻るので課長等は之を制止し退去させようとしたが更に大声をあげて反抗し課長を吊し上げたので一階売場中央部は大混乱を来した。

(ハ) 八月四日午後一時平田は三重野委員長と共に西鉄ホーム中央口より強行侵入し之を阻止する課長に対し喰つてかゝり無理矢理に階段を二階へ昇ろうとした。

このときピケ隊員数十名が雪崩れ込み課長団をぐるりと取り囲んで三重野と共に課長を吊し上げ売場は大混乱となりついに警官の出動となつた。

III 以上を要約するに

昭和三三年八月二日より同月七日まで六日間に亘り組合が行つた第一項記載の如き不法な争議行為につき闘争委員として之が企画、指導並びに遂行に参与し、連日ピケの第一線にあつて本争議を推進し、その実行指揮を行い争議参加者の違法行為を防止せずかつ自らも違法行為をなし、以て会社業務を著しく妨害すると共に会社の信用を毀損し、会社に甚大な損害を蒙らしめた。よつて就業規則第八二条第二号及び第九号(第八一条第六号、第一二号)の懲戒解雇事由に該当する。

(6) 申請人 熊谷

I 争議行為の企画指導について

(イ) 前示(1)のIの(イ)と同じ。

(ロ) 八月二日より七日までの間、主として東側口、西鉄ホーム側のピケ指導を行つた。

(ハ) 八月三日午後三時頃主に東側口ピケ隊の指揮者として隊員を督励した。また、サンドイツチマンを誘導して強行入店を行い各階売場を漫然徘徊して通路を妨害し各所で小競合い混乱をひき起させた。

(ニ) 八月五日午後四時、四階呉服課北側売場同事務所附近に侵入して来たサンドイツチマンを誘導し乍ら同行し買物中の客の顔を殊更にのぞき込み、にらみつけ威圧を加える等して漫歩した。

(ホ) 八月五日午後五時半三名のサンドイツチマンを案内所附近から東側口の方へ退去させようとしたところ申請人熊谷は平田闘争委員と共に東側口より侵入して来て会社のサンドイツチマン退去要求を妨害し之を制止する会社課長を吊上げ、サンドイツチマンを擁護し、店内を徘徊せしめた。

II 自身の行為について

(イ) 八月二日午前十一時頃東側口の舗道上で入店しようとする客に対し「入口はアチラです」と西鉄ホーム側を指さし客をして出口ではないと思わしめ更に西鉄側出入口は客が自由に入店出来ると思わせて客を偽瞞してその入店を完全に阻止した。

(ロ) 八月四日午後一時東側口より入店し之を制止する課長との間に紛争を起したので之を会社側が撮影したところ其の撮影した者に対しフイルムを出せと威嚇し売場内を執拗に追いかけまわして売場を混乱せしめた。

III 以上を要約するに

昭和三三年八月二日より同月七日まで六日間に亘り組合が行つた第一項記載の如き不法な争議行為につき闘争委員とし之が企画、指導並びに遂行に参与し且つ連日ピケの第一線にあつて本争議を推進しその実行指揮を行い争議参加者の違法行為を防止せずかつ自らも違法行為をなし以て会社業務を著しく妨害すると共に会社の信用を毀損し会社に甚大な損害を蒙らしめた、よつて就業規則第八二条第二号及び第九号(第八一条第六号、第一二号)の懲戒解雇事由に該当する。

(7) 申請人 牛尾

I 争議行為の企画、指導について

(イ) 前示、(1)のIの(イ)と同じ

(ロ) 八月二日より七日まで主として北側口のピケの指導に当り之を煽動し客の入店を阻止した。更に他の出入口のピケをも巡視指導激励した。

II 自身の行為について

(イ) 八月二日より七日に亘り常時ピケ隊を指揮した。

八月二日午後一時頃北側口に於いて客を誘導中の会社課長に対し「貴様邪魔だのけ」「貴様早く行け」と怒鳴つて会社の客の誘導を阻止した。

(ロ) 八月二日北側ピケ指導中、出入口にいた古川営業部次長の耳もとにメガホンを当て大きい声で「帰れ」と怒鳴つて暴行した。

III 以上を要約するに

昭和三三年八月二日より同月七日まで六日間に亘り組合が行つた第一項記載の如き不法な争議行為につき闘争委員として之が企画指導並びに遂行に参与し、連日ピケの第一線にあつて本争議を推進しその実行指揮を行い、争議参加者の違法行為を防止せず、かつ自らも違法行為をなし、以て会社業務を著しく妨害すると共に会社の信用を毀損し会社に甚大な損害を蒙らしめた。よつて就業規則第八二条第二号、第九号(第八一条第六号、第一二号)の懲戒解雇事由に該当する。

(8) 申請人 今泉

I 争議行為の企画、指導について

(イ) 前示、(1)のIの(イ)と同じ

(ロ) 争議期間中主として西鉄ホーム側ピケ隊の指揮に当り客の入店を阻害した。その間北側口ピケ指導にも当つた。

II 自身の行為について

(イ) 八月二日午前十一時より午後一時の間西鉄ホーム売店口に張られたピケ隊の極めて狭い其の巾の間を故意に往復し客の入店を阻止した。また本館に侵入し六階を巡廻して入店者数を調査して廻つた。

(ロ) 八月三日午前十一時頃西鉄ホームコンコース口より強行に入店して店内を徘徊した。

(ハ) 八月三日午前十一時半頃吉富洋服第二課長は西鉄ホーム売店口のピケの状況があまりひどかつたのでピケ隊の先端まで行つて客の案内に懸命の努力をしていたが今泉は之を吊し上げ争議団員十数名と共に人垣の中に取囲み口汚く個人的な誹謗を行つた。

III 以上を要約するに

昭和三三年八月二日より同月七日まで六日間に亘り組合が行つた第一項記載の如き不法な争議行為につき闘争委員として之が企画指導並びに遂行に参与し連日ピケの第一線にあつて本争議を推進しその実行指導を行い、争議参加者の違法行為を防止せずかつ自らも違法行為をなし以て会社業務を著しく妨害すると共に会社の信用を毀損し会社に甚大な損害を蒙らしめた。

よつて就業規則第八二条第二号第九号(第八一条第六号第一二号)の懲戒解雇事由に該当する。

(9) 申請人 八柄

I 争議行為の企画指導については前示、(1)のIの(イ)と同じ

II 申請人八柄は昭和三三年八月二日より七日まで六日間に亘り主として闘争本部に於いて闘争に関する事務を担当して指導に当り、また、随時会社の阻止を排して強行入店し争議を指導激励した。

よつて闘争委員として第一項記載の如き不法な争議行為につき企画指導並びに遂行に参与し本争議を推進しその実行指揮を行い争議参加者の違法行為を防止せずかつ自らも違法行為をなし以て会社業務を著しく妨害すると共に会社の信用を毀損し会社に甚大な損害を蒙らしめた。よつて就業規則第八二条第九号(第八一条第六号、第一二号)の懲戒休職事由に該当する。

(10) 申請人 柴田

I 争議行為の企画、指導については前示、(1)のIの(イ)と同じ

II 申請人柴田は争議期間中主として西鉄ホーム中央口のピケの女子争議参加者の指導に当り、自らもピケの先端にあつて客の入店を阻害し、一方、西鉄ホーム南口階段の途中でメガホンを持ち随時通行人に対し会社を誹謗し、女子組合員を激励しまた各階に随時強行入店した。よつて闘争委員として第一項記載の如き不法な争議行為につき之が企画指導並びに遂行に参与し本争議を推進し、その実行指揮を行い、争議参加者の違法行為を防止せず、かつ自らも違法行為をなし、以て会社業務を著しく妨害すると共に会社の信用を毀損し会社に甚大な損害を蒙らしめた。よつて就業規則第八二条第九号(第八一条第六号、第一二号)の懲戒休職事由に該当する。

(11) 申請人 上杉

I 争議行為の企画指導については前示(1)のIの(イ)と同じ

II 申請人上杉は争議期間中主として組合事務所のマイクを通じ通行人、客、就労従業員に対し事実を歪曲して悪質な会社誹謗の宣伝をなし本件争議の気勢を煽つた。よつて闘争委員として第一項記載の如き不法な争議行為につき之が企画、指導並びに遂行に参与し、本争議を推進し、その実行指揮を行い争議参加者の違法行為を防止せずかつ自らも違法行為をなし、以て会社業務を著しく妨害すると共に不当に会社の信用を毀損し、会社に甚大なる損害を蒙らしめた。よつて就業規則八二条第九号(第八一条第六号、第一二号)の懲戒休職事由に該当する。

(12) 申請人 進藤

I 争議行為の企画、指導については前示(1)のIの(イ)と同じ

II 申請人進藤は争議期間中主として北側口ピケ隊の指導に当り特に八月二日、三日、四日に亘り客の入店を阻止し、ピケを煽動した。尚八月五日午後一時全岩労闘争委員五名を指揮し全員サンドイツチマン姿で一列縦隊となり二階より八階まで各階を漫然徘徊した。よつて闘争委員として第一項記載の如き不法な争議行為につき之が企画、指導並びに遂行に参与し、本争議を推進し、その実行指揮を行い争議参加者の違法行為を防止せずかつ自らも違法行為をなし以て会社業務を著しく妨害すると共に不当に会社の信用を毀損し、会社に甚大なる損害を蒙らしめた。よつて就業規則第八二条第九号(第八一条第六号、第一二号)の懲戒休職事由に該当する。

(13) 申請人 松島

I 争議行為の企画指導については前示、(1)のIの(イ)と同じ

II 申請人松島は争議期間中主として、東側口のピケ指導に当り、或る時はサンドイツチマン姿で店外を歩きメガホンで連呼しピケを督励し、且つ随時店内に強行侵入した。

よつて闘争委員として第一項記載の如き不法な争議行為につき之が企画指導並びに遂行に参与し本争議を推進し、その実行指揮を行い、争議参加者の違法行為を防止せず、かつ自らも違法行為をなし以て会社業務を著しく妨害すると共に会社の信用を毀損し会社に甚大な損害を蒙らしめた。よつて就業規則第八二条第九号(第八一条第六号、第一二号)の懲戒休職事由に該当する。

(14) 申請人 直塚

I 争議行為の企画指導については前示、(1)のIの(イ)と同じ、

II 申請人直塚は争議期間中主として、西鉄ホーム各出入口のピケを指導し客とピケが接触するや随時ピケを煽動して之を阻止した、よつて闘争委員として第一項記載の如き不法な争議行為につき之が企画、指導並びに遂行に参与し、本争議を推進し、その実行指揮を行い、争議参加者の違法行為を防止せずかつ自らも違法行為をなし、以て会社業務を著しく妨害すると共に不当に会社の信用を毀損し、会社に甚大なる損害を蒙らしめた。よつて就業規則第八二条第九号(第八一条第六号、第一二号)により懲戒休職事由に該当する。

三、仮処分の必要性

以上により明らかなとおり会社の申請人らに対する懲戒処分は有効であつて、本件仮処分申請は理由なきこと明白であるが、さらに本件仮処分の必要性もない。特に申請人目録(二)記載の申請人らについては一五日間の休職期間は既に昭和三三年一〇月一九日終了し、申請人らは就業しているので、明らかに仮処分の必要性はない。

よつて、本件仮処分申請はいづれも理由も必要性もないものとして却下せらるべきである。

第四、被申請人の主張に対する申請人らの答弁および反駁

申請人ら代理人は右被申請人の主張に対し次のとおり述べた。

一、本件争議の目的について

昭和三三年七月一〇日全岩労が会社に対し要求した内容は左のとおりである。

(イ)  夏期手当本職員各人の基準内賃金の〇、七五ケ月分、臨時職員各人の日給額の一五日分、何れも成績考課、不就業控除をしないこと

(ロ)  中元時繁忙手当一人一律一〇〇〇円

(ハ)  支給日八月一日

右要求を廻る全岩労と会社との間の団交の経過、闘争委員会の設置及び全岩労が争議に入るまでの経過ならびに団交において、会社の表明した態度が、被申請人の主張の如きものであつたこと、は認めるが、その余の主張事実は否認する。

全岩労が夏期手当につき成績考課を避けて一律支給を求めたのは、特に岩百労の発生後、全岩労組合員が岩百労組合員に比べて成績考課の名の下に著しく不利益な取扱いを受けたからである。元来被申請人主張の年間協定は会社と全岩労との間において全岩労の組合員のために締結されたものであり、従業員全員について年間賞与の源資を一括して定めたものではないし、また、各人の考課表に基いて配分するという慣行が確立していたものでもない。

従つて全岩労の要求は年間協定に反するものではなく、従つてまた、本件争議の目的は正当なものであつた。

なお、全岩労は七月二五日に臨時大会を開き、同日及び二六日の両日に亘りスト権発動の全組合員の無記名投票を行い、賛成三一四名、反対三八名の絶対多数を以てスト権を確立したものである。

二、違法争議行為について

被申請人の右主張は全面的に争う。本件争議行為の事実の詳細は次に述べるとおりであつて、被申請人主張の事実中これと合致する部分は認めるがその余の事実はすべて否認する。

(1)  ピケツテイング

I 「八月二日の状況」について

(イ) 全岩労組合員約二〇〇名が同日朝スポーツセンターに前に集合したこと、開店時刻である午前一〇時前後、組合旗五、六本を先頭にして駈足で本館附近に赴いたことは認めるが、各入口にピケがついたのは一〇時五分過ぎ頃であり、顧客は既に入店し初めていたものである。外部支援労組から応援に来た者は、当初約五〇名、後刻若干増加しかつ入替つたものもあつたが、第一日に参加した支援労組員全部を累計しても二〇〇名に達しなかつた。前述二〇〇名の全岩労組員は五班に分れ、本館各出入口(北側口、東側口、西鉄売店横口に各一班、西鉄ホーム側中央口コンコース口地階口を通じて二班)のピケについた。支援労組は各口に分れて応援した。ピケは出入扉の幅の間隔を保ち、概ね出入者が二名位は並んで通れるようにし、その両側に一列に並び、処によつては二列位になつたこともあつたが、その幅が五〇センチまたは三〇センチ位になつたということはない(もし仮りにあつたとしたら全く瞬間的なできごとであろう)。

(ロ) 北側口の概況として、ピケの列が旗竿を横にもち両側から前に押し通路を狭めて客の入店を妨げたようなことはない。二、三本の組合旗や二枚の立看板が置かれていたが、出入に支障を与えたことはない。顧客に威圧やいやがらせを行なつたこともないし、客を偽瞞して入店を阻止したこともない。入店を欲した者は入店している。

(ハ) 東側口の概況として、入店しようとする客を取りまき追い返し罵倒したというようなこと、喧噪を極めたこと、等はない。扉の幅どおりの出入口は保たれていたから、入店しようとする客には支障はなかつた。

(ニ) 西鉄ホーム側各口の概況として、各所に客とピケ隊との大口論やもみ合を生じて交通不能となつたり、不穏な情勢が起つたり、被申請人のいうような「説得」に名をかる悪質な入店妨害(被申請人は方言を交えていかにも尤もらしい描写を試みているが、そのような呼びかけは行なわれていない)が続けられたり、入店しようとする客を掛声をあげて両側より押し詰めたり、ピケの指導者が客を引張り出して吊上げを繰返し入店させなかつた。などということは何れも無根のことである。ピケは扉の幅に間隔をおいて両側に立ち、その一部が「只今二十四時間スト中でございます。御協力をお願いします。」という呼びかけを行ない、また数名の者が列の外で通行人に協力を呼びかけた。而してその列は、警官の指示により、いずれの口も店側より改札口側に向い初めての柱から内側にとどめてあつた。

(a) 地階口のピケは初め入口から真直に並んでいたが、正午頃警官より交通の邪魔になるから左に斜めに並ぶように指示されたので、その指示に従い並んだが、そのために出入口が判別できず閉塞されたようなことはない。また入店する客に食料品が腐つている云々といつたり、取り囲み立塞がり威圧を加え客と口論したというようなことはない。反つて、十時半頃から課長連が客引きを行ない、通行人の腕をつかみそのため通行人と口論をしたり、わざとピケを押したりピケの列を出入したりしたことがあつたし、そのためピケの者に抗議されると暴言をはきかけたりしていた。

また、地下室食料品の委託職員数名がピケの列の外れ附近で盛んに客引きをしたりピケを押したりし、同人等は「仕入れた魚が腐つてしまう、どうしてくれるか」また「ストで去年のように羊羮が腐つては困る。どうしてくれる」などと怒鳴り散らしていたので、ピケの者がなだめると暫らくして興奮がおさまり自分等の行動につき「課長(会社)が主人(委託業者)に頼んだらしい云々」と言訳をして地下室へ戻つていつたことがあつた。

(b) 中央口のピケにつき、旗竿を使つたことはない。両側よりつめより入店しようとする客を圧迫したようなこともない。この入口でも会社の課長副長などがピケの目前で客引きを行ない、通行人を掴まえて店内に入れようとしてその人と口論したり、ピケを押し暴言を浴せるなどのいやがらせを行なつていたことがある。なお、この入口ではピケの側面を押入ろうとした者が二、三あり、ピケが通路から入るように頼んだり警官から話してもらつたことはあつた。

(c) コンコース口のピケも警官の指示により右に斜めに並んだものである。その他被申請人のいうようなことはない。

この口は平常と同じように主として店内から出る場合に利用されていた。

(d) 売店口のピケにつき被申請人の主張することは全く事実に反している。この口もピケは扉の巾(約六尺)をあけて両側に並び柱までの間(扉から七尺位)に向つて右は二列、左は三列になり真直に通路ができていた。ところが、十一時頃になると会社の課長(吉富)がピケの前で無理矢理に通行人の手をとり引つぱつて客引きをし初めた。余り目まぐるしく動き廻るため、反つて混み合う惧れがあつたので、列外の者が見かねて同人に対し客に無理強いをしないように話したがきき容れず、そのため若干の押問答の行なわれたことはあつたが、客とピケとの口論はなかつた。

(e) 南口はピケをおかなかつた。この口は二階への階段になつており、ふだんでもここを利用する入店者は稀れであつたので、この口の隅にバツテリーをおき一時マイクで歌唱指導をしたことがあつた。ピケの者で中には気分が悪くなつた者もあり、数名がこの入口辺で階段の端に腰を下ろしなどして休息したことはあるが、そのために入口を閉塞したということはない。

II 「八月三日の状況」について

(イ) この日も全岩労組合員と若干の支援労組員とがスポーツセンター横に集合した上本館各入口に赴いたが、申請人三重野が指示を与えたということは誤りである。

ピケについていたのは前日同様既に開店後の一〇時五分頃であり、各入口とも扉の巾に開けてその両側へ数名が並んだことは前日と同じである。日曜日のこととて、入店者が多かつた反面ピケは前日より少なかつた。被申請人主張のようなピケの幅が狭くなつたとか閉塞されたとか、ピケとお客との間で大口論競合があつたとか、組合が同日朝ピケ隊に客の入店を妨げるような指示を行なつたなどということは無い。ピケの列外で移動しながら通行人に協力を求める呼びかけは行なつていたが、「嫌がらせ班」なるものは作られたことがないし、ピケの中間に立ちはだかつて入店を妨害したり塞いだりしたこともない。

(ロ) 当日の北側口は約四〇名が入口扉の巾をあけて両側に並びその内数名は列外で通行人に協力を求める呼びかけを行なつたが、客に威圧を与えたり、つめ寄り取り囲んで通行できないようしたり、外側に連れ出すというような客との口論紛争などは起つていない。この日も会社側課長はピケの列の端附近などに出てピケ班員等を挑発する如き身振りを用いながら客引きを繰り返えしていた。また内側扉附近でも殊更身振りをつけながら「いらつしやいませ」と大仰に大声を上げていたので、あまりわざとらしい時にピケ班員がそれらの課長に向い「ワツシヨイ団交」と数回繰返えし声をかけたことはあつたが、客に向けて喚声を上げたことはない。

(ハ) 東側口も扉の巾(四尺)に間隔をとり、両側に一、二列(一列八名から十名位)に並んだ。その端に赤旗のあつたときもあるが、列の外であつたから店の出入には差支えがなかつた。

(ニ) 南口は前日同様ピケをおかなかつた。

中央口は扉二枚が開けられたので、ピケの幅もこれに応じた。ピケの数は食事や交代などでその時々に多少の変化はあるが、午後一時頃に六〇名も応援が来たことはない。コンコース口のピケは前日警官の指示によつた並び方と同様に右に斜めに広い通路を作り中央口は真直ぐに並んだもので入口が閉塞状態になつたということはないし、いわんや客とピケ隊員との口論競合などは全くない。売店口は前日同様扉の幅に並び二人並んで通行できるようになつており、かつ扉より柱までの約七尺位の間にはつたのにすぎない。此処は直線にピケが並ぶと売店寄りでは通行の邪魔になる惧れがあるところから、ひる頃警官と話合の上右に曲げて列を作ることになつた。他の入口と同じく終始警官が立会つており、その指示に則つていたのであつて、被申請人のいうように出入口が判らず客が停滞したようなことはなかつた。ただ、午後になつて右翼団体の者二名が店内から出る際にことさらにピケに突当り、ピケが「出口はあちらになつています」と告げたところ、その者は「ここから出て何が悪い。おれはここから出たいんだ」といい、出入口から真直ぐにピケの列を突切つて出たことがあつた。この日組合側は新天町寄りにスピーカーを取りつけたことはあつたが、それによる放送は時々行なわれた程度であり、音量も西鉄の乗降案内に支障を来たさないよう特段の配慮を用いていた。寧ろ会社側の宣伝放送が盛んであり、一〇時過ぎより二〇分おき位に執拗に繰り返えされたのであつて、組合側はそれに対し「ストに御協力下さい云々」という呼びかけを行つたのに過ぎない。

地階口ピケは前日同様であり、入口がわからなかつたというのは事実に反する。

III 「八月四日の状況」について

同日は一〇時五分前頃ピケが各入口に着いた。会社の特別招待会があつたので開店前から待つていた客もあり、入店者は多かつた。特に暑い日であつたから、ピケ班員も連日のストと高温に疲労が甚しく、ピケの列を離れて日蔭に憩う者も多少はあつたが、被申請人のいうような、ピケが部厚い縦深いものであつたとか、雑然と集団をなして出入口を塞ぎ客と口論しいやがらせをしたとかいうことはない。ピケ参加者は日を追つて漸減した。

「特に」以下の叙述は著しく事実に反する。会社に対する悪口については全く事実無根である。

IV 「八月五日の状況」について

この日のピケは総数二〇〇名余りで一〇時頃より配置につき、概ね前日と同様の状態であつたから分厚く奥深いこともなく、出入口には扉の巾に充分あいていたから入店は容易であつた。メガホンやスピーカーが呼びかけに使用されたことはあるが音量には特に留意していたから、過剰なことはなく、警察から格別の警告を受けたことはない。一一時頃警官と話合い、警官が各入口前にピケの位置を黄色ペンキにより図示したことがあつたが、右の図示された位置はストライキの初日より当日までピケがはられていたそのままの位置を表示したものである。

各入口にはそれぞれ数名の警官(私服も含め)が終日立会していた。またピケは前述の図示された位置におり、これを越えることはなかつた。

コンコース口と売店口のピケも警官によりそれぞれ従前と同様に右へ斜めに位置するよう表示されたので、これに従つて並んでいた。

V 「八月六日の状況」について

ピケ参加人員が減少したのは事実であるが、ピケによる暴言威嚇などは行われていない。ピケは一〇時すぎより行なわれ、その位置は前日ひいた黄色ペンキの線内にとどまり、店内への出入は支障なかつた。

地階口では支援労組員一名が階段なかばまで下りたところ、会社課長が下から阻止して二、三問答が交わされたことがあつた。その際階段下り口で数名の労組員がその情況を見ていたことはあるが、階段半分目まで侵入の上連呼し階段を閉塞したということはない。

VI 「八月七日の状況」について

この日、ピケ参加者は一二〇名位で、一〇時一〇分頃より行なわれた。組合では「店内侵入予定者」などというものを作つたことはなく、組合員の中にはもとより個人的に店内の友人に面会のためその他所用で入店した者も若干いたことは考えられるが、組合で店内侵入を計画実施したということは全くない。

この日、支援労組の応援があつたことは事実であるが、人員は被申請人主張のように多くはない。午後特に喧噪を極めたということもない。

ピケが荒々しく気勢をあげ、喚き、客の通行を故意に閉塞したということはない。

旗はピケの後ろか、横に立てかけてあり風などで倒れた場合とか、早く帰る支援労組員が自分の単組の旗をとり外すような場合を除いては故意に低く垂れ下げておいたり、両側で持合つたりなどしたことはない。客に対し雑言を浴せたというようなことも事実に反する。時に民謡の替歌が唱われたこともあつたが、個人誹謗の文句を入れた歌詞などはなかつた。

(2)  サンドイツチマン

I 八月三日の状況について

一一時半頃、支援労組員の一人が、赤色と水色でストに理解と同情を求める旨を認めたボール紙を前後にかけて店内に入つた、これは、右支援労組の一員が自らの発意により行なつたものであり、支援団体として実施したものではなく、いわんや全岩労とは無関係のことである。この会社のいわゆるサンドイツチマンが高島次長と若干の問答を交わしたことはあつたが、同人が次長の腕をつかみ、押しまくつたというのは事実に反する。反つて同人が高島等に押しまくられたというのが真実である。

前記の一支援労組員の行動にヒントを得て、同日午後主な支援労組の代表者の間では、いわゆるサンドイツチマン戦術をとろうという話がかわされ、プラカードをつけて店内を廻り客の目に訴えて協力を求めること、店内では客の迷惑にならぬように留意して歩くこと、会社が挑発をしかけてくるかもしれないがその場合はそれにのらずにその場を去ること、などを申合わせ、四時半頃四組(一組四、五名)がそれぞれ二つの階づつを担当して店内に入つた。しかし被申請人の主張するような連呼や口論小ぜり合いなどは行なわれていない。

なお、この申合には、全岩労は加わつていない。

II 八月四日の状況について

被申請人のいうようなサンドイツチマンの編成がなされたことはない。支援労組員によるサンドイツチマンはこの日三時頃から四時頃の間に店内に入つたことはあるが、開店頃より入つたことはない。その一組は五、六名に過ぎず、隊列を組んだことはない。またサンドイツチマンが、午後五時頃店内にいたことはない。

III 八月五日の状況について

同日午後支援労組員によるサンドイツチマンが店内に入つたことはあるが、それらの者が客にいやがらせをしたり口論し、または客の妨げとなるような行動をとつたことはない。店内では、会社側が多数の者を動員しており、サンドイツチマンを見付けると包囲するので、進退ができなくなり、反つて混雑したような事があつた。その他は事実に反する。

(ハ)については、小数の支援労組員が自己の発意により組合旗を携えて店内に入つたことがあるが、通路を一杯にふさいだということはない。店内に旗を携行することは全岩労はもとより、支援労組としても考えたことはない。

(リ)については、全岩労組合員一名が支援労組員一名と共にサンドイツチマンとなり、店内に入つたこともあるが、この行動も組合が不知の間に自らの意思に基き行なわれたものである。また同人等が友の会受付前に立塞がり入金を妨害したということはない。

IV 八月六日の状況について

同日午後支援労組員によるサンドイツチマンが入店したことはあるが、被申請人主張のような多数ではないし、客の通行を妨げたり、客と口論したことはない。その他の主張も事実に反する。

V 八月七日の状況について

コンコース口より階段を上りかけたサンドイツチマン姿の支援労組員一名の前に課長らが立塞つたので、同人がその場に腰を下したことがある。その際他の支援労組員数名が来り、右課長らと言葉を交えたが、四、五分で全員退出したものであり、客の通行を不可能にしたことはない。

(3)  旗又は旗竿持込み侵入について

全逓労組の旗を持つた者が店内に入つたことはあつたが、右は当該労組員数名が独自に行動したものであり、且つ大声を発し、通路を塞ぎ、取巻き、わめき散らしたということはない。何れも被申請人主張の時刻頃、主張の如き事実はない。会社がここにいう掲示や放送を行なつたのは三日の閉店時刻近くからのことである。

(4)  店内乱入事件

I 八月三日の状況について

本件の事実は次の通りである。申請人三重野と同八柄は店内の状況を視るため組合事務所のある別館から地下道地階を経て一階南側交通公社横の階段附近に至つたところ、会社側課長ら多数に取りまかれた。両名は店内の状況を見たい旨を告げたが課長連は肯んぜず、大声で退去を要求し、更に両名を包囲するに至つたので、三重野は会社側責任者高島次長と話合いを行ない、責任者として店内の様子を見るために入るのであるからよいではないかと述べたが、高島は自分は組合員を店に入らせないという指示しか受けていないので、それ以上の返事ができないと答えて話がつかず、店外のピケ隊も心配している様子なので話を打切り高島と同道の上特定物品出入口より(八柄は中央口より)退出したものである。その際右両名が課長や第二組合員等に包囲されたのを見た少数の支援労組員が事態の収拾のため店内に入つたことはあつた、また店外のピケの者が委員長の身を案じて「委員長がんばれ」という声をかけたことはあつたが、それは店外に並んだ体制のまま一部の者に呼びかけられたものである。従つて、両名が中央口から入店したということ、五、六名がこれに随行したということ、課長団を押しまくつて侵入取囲み吊し上げたということ、ピケ隊員が店内に乱入したということ、その数三、四〇に達したということ、破損の危険を生じたということ等は何れも全く虚構の言である。

II 八月四日の状況について

午後一時頃申請人熊谷が入店したのは次のような経緯である。当日東側口のピケについていた申請人熊谷が店内の状況を知りたいと思い、右入口扉の内側に半歩入り背伸びをして店内を眺めたところ、吉原課長が出ろと怒鳴つたことから両名の間で二言三言問答が交えられているところを通り合わせた第二組合員真海主任が店内を通る位のことであればいいではないかと取りなしたので吉原もこれを認め熊谷は真海の後ろを店内案内所附近に進んだところ、梅野人事課副主任が突然熊谷を写真撮影した。これに気付いた熊谷が梅野に抗議すると、梅野は熊谷の腕を突いて逃げ去り、一時熊谷は第二組合員十名余りに取囲まれ、身動きのできないようになつてしまつた。申請人堤が知らせを受けて組合事務所から現場に来たのは取り囲みがとけた後であり、堤は吉原と二、三分話合つた後、熊谷と共に退出したものである。従つて、熊谷が吉原を押しのけ入店しようとしたから撮影したという会社の主張は偽りであり、また堤事務局長は一人で店内に赴いたのであつて、四、五人がかけ込んだり十数名が雪崩れ込んだという主張も事実に反する。

午後三時頃、サンドイツチマンを会社側課長等が取囲んで云い合つていることを知つた申請人平田が中央口より店内に、一、二歩入り事態をおさめて直ちに退出したことはあるが、同人がサンドイツチマンを誘導して入店したことはない。前述同人の入店については何人にも制止されたことはないから、三浦の制止を押切つたとの事実もない。二十数名が課長団を店内深く押し返えしたこともない。

その他の事実は否認する。

III 八月五日の状況について

ピケ隊が中央口より店内に雪崩れ込んだということはない。従つてこの項も事実に反する。

IV 八月六日の状況について

午後一階においてサンドイツチマンが会社側の者に包囲圧迫されていたので、中央口附近にいた他のサンドイツチマンが入店しようとしたところ、会社側が通路一杯に立塞がりこれを押して来たので、混乱を避けさせるため、支援労組の責任者二名が入店し、警官立会の上話合い、サンドイツチマンを店外に退去させたことがある。その際ピケ隊が喚声を上げて入口深く殺到したというようなことはない。またケース等の破損の惧れという具体的危険は生じていない。

(5)  領収書事件について

支援労組員の若干名が買物をして領収書証を求めたことはある。これは一部支援労組員の発意により行なわれたもので、全岩労には何の連絡もなく、無関係に行なわれた。全岩労の幹部がこれを知つたのは、このことが新聞に報道されてからであつた。

(6)  店内での宣伝活動について

八月六日、支援労組中の百貨店関係組合がそれぞれ自己の組合作成のビラを店内の第二組合員に配布したことはあつた。それは全岩労には何の相談も通知もなく無関係に行なわれたのであり、全岩労別働隊というようなものは編成された事実はない。右の支援労組員の行動は営業妨害乃至は就労の職員の業務を妨害するようなものではなかつたし、職場の秩序を紊乱したということもない。その他の主張事実は否認する。

第五、本件争議における申請人等各自の行為について

(1)  申請人 三重野

Iについて。

(イ)につき、全岩労闘争委員会は、八月二日早暁、もしストに入る場合には、本館の出入口附近において顧客に呼びかけてストライキへの協力を求めること、第二組合員の入店にはピケをはらないこと、ピケのはり方は二人並んで入れる位はあけておくこと、市民に対する呼びかけのビラを発行すること等をきめ、五ツのピケ班を編成することとしたが、被申請人のいうサンドイツチマンの編成、店内の混乱喧噪戦術、領収証要求戦術などを闘争委員会が決定したことはない。

(ロ)同人が店内に入つたのは、二日と三日のみであり、共に組合の責任者として店内の状況を見る必要から行なつたものである。

而して、二日は何人からも退去を求められることなく、三日は前述した通りである。

((4)のIについての項)。

(一)は否認。

(二)にいうことは誤りで同人は八月二日警察署より招致されたことはない。

IIについて。

(イ)は前述I(ロ)の通り。

(ロ)は、このような事は全然ない。

(2)  申請人 井手

Iについて。

(イ)はIの(イ)に同じ。

(ロ)について八月二日各階を廻り店内の状況を見たことはあるが、業務妨害行為の準備などをしたことがない。店外については、八月二、三日頃一回ピケの状況を見て歩いたことはある。

(ハ)については、八月三日に一人で店内に入つたことがあるほかは、四日中央口より薬品売場前まで十分間位入つたことがあるが、その余は否認する。

IIのようなこともない。

(3)  申請人 三重野(堤)

Iについて。

(イ)は(1)のIの(イ)に同じ。

(ロ)について、八月三日マイクを通じて市民に事情を訴えたことはあるが、ピケに対する激励や呼びかけは行なつたことがない。

(ハ)は次のような事実である。組合事務所にいた同人が誰かに呼ばれて下りて行つたところ、別館入口自転車置場に全逓の組合員一名が来ていた。警官が堤に右の者の名前を教えてくれといつたが、堤は、手伝に来てくれている支援労組の人で名前は組合で知つているのだからいいでしようと話したところ、警官も諒承して強いて名も聞かぬまま立ち去つたものである。

(ニ)は五日夕刻組合員からの連絡で一階交通公社前がごたごたしている旨をきき、組合事務所を出て中央口より一階に入り直ちに事態をおさめたものである。ピケ隊の前面で指導したことはないし、ピケ隊員を指揮して店内に入らせたというようなことは全く虚構の言である。

(ホ)については一回行なつたことがある。それは退社時の第二組合員に対して経過を説明し協力を呼びかけたものであり、会社誹謗などはしていない。

(ヘ)については、ピケの状況を見廻つたことはあるが、ピケは整然として出入扉の幅にはいつも開けられていた。

IIについて。

(イ)について、一時頃入店したことはない。四時頃入店したものであるが、就労中の者に執拗に話しかけたことはない。

(ロ)については、第一の三の(二)の(2)の(ニ)について述べたところである。

同人はその際男子労組員四名を伴つて入店したことはなく、単独で赴いたものであり、二、三分の話合で手際よくおさめたのであつて、同人が強要したり、混乱を拡大したというような主張は偽りである。

(4)  申請人 芳井

Iについて。

(イ)は(1)のIの(イ)に同じ。

(ロ)について、同人はカメラマンとして入店していたが、いつもとめられたことはなく、従つて強行入店をしたことはない。

(ハ)乃至(ヘ)は何れも事実が相違する。同人はこのようなことはしていない。

IIについて。

(イ)(ロ)もこのようなことはなかつた。

(5)  申請人 平田

Iについて。

(イ)は(1)のIの(イ)に同じ。

(ロ)については、同人は全岩労組合員ピケの指導に当つたことはある。

(ハ)については、同人は八月四日売店口のピケについたことはないし、他の日にも被申請人主張のような発言はしていない。客の入店を妨げ婦人客に対し威圧的に入店を阻止したということもない。

(ニ)については、二の(4)のIIで述べたとおりの事実である。

(ホ)については、同人は申請人熊谷と共に店内に入つたことはない。同日夕刻案内所前で熊谷と会社の課長が何か問答をかわしているので平田が入店したところ、熊谷が出て来て「何でもなかつた」というので、共に退出したものである。従つて課長を吊し上げたり、サンドイツチマンをして店内を徘徊せしめたことはない。

(ヘ)については、同人が当日ピケについていた東側口から組合事務所に赴きその帰途西鉄側中央口前を通りかかつた際、支援労組員数名が店内で会社側と何事かもめているのでおさめたいと考え入店したが、程なく事態がおさまつたので退出したものであり、同人が入店していた時間は五、六分であつた三〇名が雪崩こんだことはないし、会社側の者に体当りをした者もいない。もちろん暴行の指導激励などは行なつたことがない。

IIについて。

(イ)について、八月三日は同人は西鉄側のピケについており、東側口に廻つたことはない。

否認。

(ロ)について、同人は八月四日、所用のためコンコース口より二、三歩店内に入つたところ、会社課長が同人の肩をこづいて入店を阻んだので、これを店外で見ていた支援労組員一名が来り右課長に抗議した。平田は、事が面倒になるといけないので、右支援労組員をうながして直ちに退出したものであり、メガホンを用いたり、被申請人のいうような連呼をしたり、課長連を吊し上げたことなどはない。

(ハ)は、八月四日にこのようなことはない。その前日三日には二の(4)のIに述べたようなことがあつた。

(6)  申請人 熊谷

Iについて。

(イ)は(1)のIの(イ)に同じ。

(ロ)については同人ははじめ東側口、のちに南側(西鉄側)、終りには北側口のピケを担当した。

(ハ)は、八月三日同人が東側口のピケについていたことは認めるが、サンドイツチマンを誘導して入店した云云、という点は否認する。

(ニ)については、同日四階売場に赴いたことは認めるが、サンドイツチマンを誘導したり、客をのぞきにらみつけるなどのことは全くない。

(ホ)は、たまたま店内で何かもめているように見えたため同人が東側口より入店し案内所前まで赴いたところ、会社課長が出て行けと怒鳴りつけたので、一、二問答を交えた上東側口に戻つた。そのとき入口一米位手前で平田に会つたので「何でもなかつた」と云つて共に退出したものである。退去要求を妨害し課長を吊上げたということはない。

IIについて。

(イ)は否認。通行人に「入口はあちらにもございます。」といつたことがあるが、東側口が出入口ではないと思わせようとしたり、客をしてそう思わせるような言動をとつたことはない。

(ロ)は二の(4)のIIに述べたとおりである。

(7)  申請人 牛尾

Iについて。

(イ)は(1)のIの(イ)に同じ。

(ロ)につき、同人ははじめ北側口、後に西鉄売店口、最後には東側口のピケを担当した。

IIについて。

(イ)につき、「貴様云々」と怒鳴り、課長の客の誘導を阻止したことはない。この日実用品課長(黒田)がピケの列の先端に来て客引きを行なつていたが、右課長はピケが折角拡げてある出入口通路内に入つて道をふさぐ結果になつたりして、反つて通行の邪魔になり、且つ同人は第二組合結成当時その委員長であつたことから、ピケの中で「第二組合結成課長」という声もきこえたので無用の刺戟を避けるためにも同人にあまり目立つた挑発的な行動はとらないでもらつた方がよかろうと考え、同人に対し邪魔にならないようにしてもらいたいという話をしたことがあつた。

(ロ)のような行動はない。

(8)  申請人 今泉

Iについて。

(イ)は(1)のIの(イ)に同じ。

(ロ)につき、同人は初め売店口、後、北側口、終りに中央口のピケを担当した。

IIについて。

(イ)の八月二日西鉄売店口の状況は既に二の(1)の2で述べたとおりであり、同人が出入口通路を故意に往復して客の入店を妨げたことはない。また二日午後六階に赴いたことはある。

(ロ)と(ハ)は全然ない。

(9)  申請人 八柄

Iについては(1)のIの(イ)に同じ。

IIについては、同人はスト期間中組合事務所で事務を担当していた。八月三日入店したことがあるほかは、店内に入つたことはない。

(10)  申請人 八柄(柴田)

Iは(1)のIの(イ)に同じ。

IIについては、当初三日間西鉄側入口のピケを担当したことがあるが、客の入店を阻害したことはない。南口階段附近でストに至つた理由を市民に呼びかけたことはあつたが、メガホンを用いたことはないし、会社を誹謗したこともない。

八月三日、新聞記者と七階食堂にお茶を摂りに赴いたことはあるが、課長等はそれを見ても入店を阻んだり退出を求めたりしたことはなかつた。

(11)  申請人 上杉

Iは(1)のIの(イ)に同じ。

IIについては、同人はスト期間中は組合本部附であり、ピケについたことはない。時々はその間組合事務所のマイクで経過の説明や資金カンパのお礼を放送したことがあつたが、会社誹謗の宣伝をしたことはない。

(12)  申請人 進藤

Iは(1)のIの(イ)に同じ。

IIは、同人が初め三日間北側口のピケを担当していたことは認めるが、客の入店を阻止しピケを煽動したことはない。その他は否認する。

(13)  申請人 松島

Iは(1)のIの(イ)に同じ。

IIは、同人ははじめ東側口、後に西鉄側口のピケを担当した。店外でサンドイツチマン姿になつたというのは四日に他の者と臨時に数分間交代したことがあるだけである。店内に入つたことはあるが数分間づつ計三回であり強行に入店したようなことはない。

(14)  申請人 直塚

Iは(1)のIの(イ)に同じ。

IIは、同人は初め売店横入口、後に北側口のピケを担当した。

以上各人につき、それぞれ懲戒条項に該当すべき事実はない。

第六、疎明関係〈省略〉

理由

被申請人会社が昭和一〇年五月一四日に設立され、現在授権資本九六〇万株、資本の額一億二、〇〇〇万円、従業員約一、四〇〇名を擁し、福岡市天神町において、物品販売ならびに之に付帯する業務を営む百貨店であり、申請人らはいづれもその従業員であつて(申請人熊谷、牛尾、今泉、進藤、松島、直塚は臨時職員、その余の申請人は本職員)、被申請人の従業員をもつて組織する全岩労の組合員であり、昭和三三年七、八月当時申請人三重野は中央執行委員長、同井手は中央執行副委員長、同堤は事務局長、その余の申請人は中央執行委員であつたこと、組合は夏季手当配分及び繁忙手当要求等の貫徹を目的として昭和三三年八月二日より八月七日まで二四時間ストライキを行い、後述斗争委員会が設置されるや、申請人三重野は斗争委員長、同井手は斗争副委員長、同堤は斗争事務局長、その余の申請人は斗争委員となつたこと、および、会社が、前記組合のスト期間中の申請人らの行為をとりあげ、昭和三三年一〇月四日付をもつて、申請人目録(一)記載の申請人ら八名に対し、それぞれ申請理由三の(一)ないし(四)記載のとおりの理由に基き懲戒解雇に処する旨、申請人目録(二)記載の申請人ら六名に対し、それぞれ申請の理由三の(五)記載のとおりの理由に基き一五日間の休職処分に付する旨、の意思表示をなしたことは当事者間に争いがない。

また成立につき争いのない乙第一〇号証(就業規則)によれば、被申請人が右懲戒処分の根拠とした就業規則の規定は次のとおり定められていることが認められる。

第八十一条 左の各号の一に該当するときは減給とする。但し情状によつて譴責に止めることがある。

六号 故意又は重大な過失によつて会社に損害を与えたとき

一二号 其の他前各号に準ずる行為のあつたとき

第八十二条 左の各号の一に該当するときは懲戒解雇に処する。但し情状によつて休職、減給に止めることがある。

二号 他人に対し暴行脅迫を与え又はその業務を妨害したとき

九号 前条各号に該当しその情状重いとき

申請人らは先ず会社が懲戒処分該当事由としてあげる事実はいづれも真実に反するものであるから、本件懲戒処分は就業規則の適用を誤つたものとして無効であると主張するので、申請人らに、会社主張のとおりの行為があつたかどうか、及びあつたとすれば、就業規則に該当するかどうかについて判断する。

第一、争議の経過

会社と組合間には昭和三三年五月五日に同年三月以降翌三四年二月に至る年度の賞与について、本職員一、八五ケ月分(中元〇、七五ケ月分、年末一、一ケ月分)、臨時職員三七日分(中元一五日分、年末二二日分)とする旨の協定が成立したが、その配分方法については未だ交渉が残されていたものであるところ、その夏季手当(すなわち右の中元賞与)について、全岩労は昭和三三年七月一〇日会社に対し(イ)夏季手当、本職員各人の基準内賃金の〇、七五ケ月分、臨時職員各人の日給額の一五日分、何れも成績考課配分、不就業控除をしないこと。(ロ)中元繁忙時手当、一人一律一〇〇〇円、(ハ)支給日八月一日の要求を提出した。

会社は組合の要求に対し、即日、(イ)夏季手当は全従業員について本職員は月例給与の〇、七五ケ月分、臨時職員は日給額の一五日の源資をそれぞれ一括確保し、(ロ)その配分は本職員について一律〇、六七五ケ月に成績考課〇、〇七五ケ月分を加算し、臨時職員について一律一三、五日分に成績考課一、五日分を加算し、その成績考課を五段階とする、(ハ)不就業控除は欠勤一日について本職員は算出額の五四六分の一を、臨時職員は算出額の三六四分の一を控除する、(ニ)中元繁忙時手当は現下会社の業績からみて到底応じられないとしてこれを拒否した。

そこで、そのことについて同月一三日、一六日に団体交渉が行われたがまとまらず、同月二〇日会社は右の配分を本職員について一律〇、七ケ月分、成績考課〇、〇五ケ月に、臨時職員について一律一四日分、成績考課一日分に、また成績考課の評定は五段階にて実施するが、考課に基く配分の段階は今回の賞与に限り三段階にする旨回答した。

しかし、会社には従業員組合として全岩労のほかに岩百労(昭和三二年六月二四日全岩労が結成され、同月二五日全岩労の組合員の一部が分裂して岩百労を結成し、争議突入当時各組合の組合員は岩百労約一〇〇〇名、全岩労約三六〇名であつた。岩百労は同月二三日会社の右修正回答を受諾)があるところから、主として夏季手当の成績考課を基準とする配分に関する、全岩労と岩百労にそれぞれ所属する各組合員間の差別の有無について組合と会社との間に意見が対立し、同月二〇日、二六日に続けられた団体交渉も難行した。この間、七月二四日組合は斗争委員会を設置し、同月二六日全組合員の無記名投票(賛成三一四票反対三八票の絶体多数)によりスト権の確立を行つて斗争態勢を整え、七月二七日の団体交渉後会社に対し八月二日午前八時までに解決しないときは同日以降二四時間ストに突入する旨通告し、七月三〇日、ついで八月一日から団体交渉が行われたが翌二日午前三時交渉は決裂し、八月二日午前八時より一三日まで連続二四時間ストに突入する旨通告してストに突入し、八月七日地方労働委員会からの勧告により組合はストを中止して会社と交渉を行い、八月一六日争議は妥結終結した。

以上の事実は当事者間に争いないか、あるいは明らかに争わないところである。

第二、争議目的の正当性

被申請人は組合の第一要求である夏季手当〇、七五ケ月分の要求は、昭和三三年五月五日会社と組合との間に締結された、「昭和三三年度の年間賞与は本職員一、八五ケ月(中元〇、七五ケ月分、年末一、一ケ月分)臨時職員三七日分(中元一五日分、年末二二日分)」とし、右年間賞与の源資は従業員全員につき一括して定め、右源資を従来の慣行どおり各人の考課表に基いてそれぞれ配分する旨の年間協定に違反する不当な要求であつて、本件争議はその目的が違法であるから違法であると主張し、申請人らは、被申請人主張の年間協定は会社と全岩労との間において全岩労の組合員のために締結されたものであり、従業員全員について年間賞与の総源資を一括して定めたものではないし、また各人の考課表に基いて配分するという慣行は確立していたものではないと主張するからこの点について考える。

昭和三三年度の年間賞与については本職員一、八五ケ月(中元〇、七五ケ月、年末一、一ケ月分)、臨時職員三七日分(中元一五日分、年末二二日分)とする旨の協定が昭和三三年五月五日に会社と組合との間に締結されたことと、そしてその配分方法については後日の交渉に委ねられたことは前認定のとおりである。ところで右協定の趣旨は、右賞与の源資は従業員全員について一括して定め、右源資を各人の考課に基いてそれぞれ配分する趣旨であり、従つてその配分の交渉もそれを前提としたもののみが残されていたに過ぎないと被申請人は主張するのであるが、右協定について作成された書面(成立に争いのない乙第一号証の協定書)にはかかる趣旨であるとの明確な記載はなく、また、その趣旨を窺せるに足る記載もなく、しかも源資を各人の考課に基いて配分することを前提としての配分方法の交渉のみが残されていたに過ぎないとの点について他にこれを肯認し得る証拠もない本件の場合(証人中牟田和夫の証言によつても未だこの点を認めるに足りない)、組合が一律〇、七五ケ月分を要求することはその配分の方法に関することといえるのであつて、そのことは右協定の源資が従業員の全員について一括して定められたものであるか、或いは全岩労の組合員について定められたものであるかによつてその結論を異にしうべきものではない。かように賞与の配分の方法について会社と組合間に協議することになつていたものである以上、そのため組合が争議を行つたとしてもそれを以て平和義務に違反したものということはできない。

而も、同一企業内の従業員組合が二個存在するという事態において考課表による賞与の配分が行われる場合、組合がこの配分について差別待遇の行われる虞ありとして考課表による配分の撤廃を要求することは組合としてはまことに無理からぬものがあつたこと(前掲証人の証言によると七月三一日団体交渉の経過で岩百労には既に夏季手当は支給され、全岩労に対する賞与の総枠は〇、七三二ケ月分であることが示されたことが認められる)を考えると、全岩労の会社に対する前記要求は組合員の経済的地位の向上を目的としたものとして正当とすべきである。

そして、他に不当な目的を有することが疏明されない以上、本来労働者の権利として保障されている争議行為の権利を行使して前記要求の貫徹を計ろうとした本件争議行為をもつて違法とすることはできない。

よつてこの点に関する被申請人の主張は採用できない。

第三、争議行為の態様

被申請人は、組合は八月二日より七日に至る間本件ストライキの実効をあげるためその手段としてさまざまの違法争議行為を行つて、会社の業務を妨害し、多大の損害を加えると共にその信用を著しく毀損した旨主張するので、以下この点について検討する。

一、行為の態様

証人豊瀬禎一、羽野透、鈴木義一、郡厳の各証言、申請人三重野正明、三重野栄子及び芳井伸明各本人尋問の結果、ならびに申請人芳井伸明の供述により成立を認定できる甲第一四号証の一ないし六を綜合すると次のとおりの事実が認められる。

七月二四日斗争委員会が設置せられ、七月二六日スト権が確立せられるや組合は七月二八日の斗争委員会(斗争委員中高松委員および熊谷委員欠席)に豊瀬禎一(総評)羽野透(全逓)、鈴本義一(総評)等、福岡県総評、全逓、福教組、自治労、全百西地連及び九炭労等の友誼団体幹部の出席を求め、交渉経過を報告し、これに対する意見を求めるとともに交渉が決裂して争議行為を行う際の協力を要請した。友誼団体は組合に対する本件争議の支援を約し、右斗争会議に於て、友誼団体を加えて更に団体交渉を継続することが決定されたほか、争議行為の実施に至つた場合の方針対策等が討議決定された。すなわち、争議行為としてはストライキを行い、ストライキの実効を挙げるためピケツテイングをはる、ピケの具体的方法としては岩百労組合員、問屋関係の就労者を対象とせず、本館各出入口に出入口をあけて、入口の幅に縦のピケをはり、専ら願客に対する呼びかけによつて協力を求める、客の通路として最低二人通れる幅をあける、客に対する呼びかけは簡単な言葉で統一する、との方針が決定され、ピケの動員数は、全岩労組合員中動員可能の者三〇〇名とし、友誼団体は所属組合員二〇〇名をピケに動員するとの対策をたてた。

八月二日午前三時交渉が決裂するや直ちに斗争委員会を開き、七月二八日の計画に従つてストライキを実施することを決定し、ピケの具体的方法は二八日の決定を確認したほかビラを道路で配ること、客に対する呼びかけは「二四時間スト中です。ストに御協力下さい」という言葉に統一することをきめた。

ストライキ実施に当つて友誼団体(以下支援労組という)所属組合員多数は全岩労組合員に協力して参加することゝなつたが、全岩労斗争委員と支援労組とは直接の指揮命令関係にはなく、支援労組の組織体制は最高責任者としては総評の豊瀬が統括して指揮をとり、全逓の羽野、総評の鈴木が現場のピケの責任者と定められ、さらに各出入口には各支援労組の責任者を以つてピケの責任者とし、豊瀬は争議行為の実施につき随時全岩労斗争委員長らと協議して方針を決定し、羽野、鈴木を通じ各現場責任者に指令し、連絡するという体制がとられた。

全岩労斗争委員の任務分担は斗争委員長三重野、斗争副委員長井手、斗争事務局長堤は争議全般の指揮統轄にあたり本部(組合事務所)に常駐するほか、斗争委員上杉、同八柄は本部付として指令の伝達連絡に当ることゝし、その他各入口の責任者として斗争委員を二名づつ配置して、各入口のピケ全般の統轄にあたらせた。すなわち、各入口の責任者は売店口―今泉、直塚、南口(コンコース口、中央口、地階入口を総称する)―柴田、平田、東側口―熊谷、松島、北側口―牛尾、進藤、芳井と定め、芳井は写真班を兼務し、各入口の責任者の配置は五日には、売店口―進藤、牛尾、芳井、南口―松島、熊谷、東側口―平田、柴田、北側口―今泉、直塚、七日には、売店口―芳井、松島、南口―今泉、柴田、東側口―牛尾、進藤、直塚、北側口―平田、熊谷、とそれぞれ変更された。

スト突入後争議の具体的方針については、毎日閉店後斗争委員らが豊瀬らと当日の行動を検討して翌日の方針を決定し、その決定は翌朝スポーツセンター前集合の際、後記のとおりピケ参加者に斗争委員より指示されたほか、随時斗争委員会が持たれ、あるいは本部において本部常駐の斗争委員と支援労組の責任者豊瀬、羽野、鈴木と協議して決定されていた。

ピケ隊の編成はスト参加の全岩労組合員を各所属職場別に五班に分け各班に班長二名をおき売店口北口、東口に各一班、南口に二班を配置した。当初この班の各入口に対する配置は日照度を考慮して一時間毎に交替する計画であつたところ、実際は第一日目である八月二日午前中第一回の交替を行つたきり爾後交替を行わず、各班は各入口に固定した。

八月二日から七日まで、全岩労組合員ならびに支援労組員は毎朝ピケにつく前にスポーツ・センター前に集合し、堤の経過報告の後、(八月二日、六日にはこの前に三重野のあいさつがあつた)堤及び八柄がその日のピケにつき指示説明を行い、支援労組員に対しては羽野がその日の配置を定めて後、列をつくつて各入口に向つてピケにつくのを例としていた。

なお、証人藤井忠蔵の証言により八月三日撮影の北側口の写真であることが認められる乙二四号証、証人古賀七郎、古川茂実の各証言によると、会社側は、当時中元売出の期間であり、スト中も岩百労所属の組合員ならびに非組合員たる従業員等委託関係店員らの就労により、営業を継続する方針をたて、争議対策本部、営業対策本部を組織して営業を継続し、八月四日から六日まで八階で特別招待会を催した。さらに八月二日会社は各出入口に争議参加者の立入を禁止する旨の立札を掲げ、八月三日以降各出入口に長竿プラカード等の店内持込を禁止する旨の立札を掲げたほか、各出入口には毎日各課の課長二名づゝを配置して、各出入口からの争議参加者の入店阻止及び入店客の送迎に当らせることゝした。

かくして八月二日より七日までストが遂行されたが、後記認定のとおり、ピケが各出入口に連日はられたほか、争議行為として八月三日以降サンドイツチマンの店内入店、旗、旗竿の店内持込、ピケ隊の店内乱入があり、八月五日所謂領収書戦術が行われたほか、店内での宣伝活動等が行われたので、以下、ピケツテイングその他の具体的争議行為ないし事件ごとに分つてその状況をみることゝする。

(本館各出入口として北側口、東側口、西鉄ホーム売店口、同コンコース口、同中央口、同地階口、同南口がそれぞれ別紙図面の図示する位置に所在することは当事者間に争いがない。)

(1)  ピケツテイングについて。

I 八月二日の状況

申請人芳井伸明の供述により成立を認められる甲第一五号証および右供述により八月二日撮影の写真と認められる甲第八号証の一乃至二三、甲第一六号証の一、二、成立につき争いのない乙第一二号証の七、第一三号証の二、三、第一四号証の一及び三、証人藤田忠蔵の証言により八月二日撮影の写真と認められる乙第二三号証の一、二、第四〇ないし四三号証、第四六ないし四九号証、第五二、五三号証、第五六号証及び第六三ないし六六号証、ならびに証人高島悟、井上秋雄、喜多岡鉄雄、林田藤雄、中野俊明、大野シマ、石橋一雄、白水博子、奥村耕作、入江ヒサ子、中島喜久子、五十嵐次春、福川靖之助、黒田勝治、吉原八十吉、伊東一義、野中孝義、落合豊、信田勝男、吉田憲司、宮本福夫、大山正剛、俵口静江、藤林恒美、江口辰夫、小川みどり、浜崎妙子、吉富俊吾、羽野透、鶴辰生、家中義人の各証言ならびに申請人三重野正明、三重野栄子、芳井伸明各本人尋問の結果を綜合すれば次の事実を認めることができる。

午前一〇時頃、ピケ参加者全岩労約二〇〇名、支援労組約五〇名計二五〇名がスポーツセンター前に集合し、前記認定のとおりピケ隊が編成され、ピケ参加者はそれぞれ斗争員の腕章をつけ、こゝより行進して各出入口に向い、開店と同時に各出入口のピケについた。その後支援労組からの参加者がふえ、午後には支援労組員約二〇〇名(全逓、炭労、夕刊フクニチ、自治労、自労、大丸渕上、玉屋、西日本新聞等)がピケに加り、午後五時半頃まで続けられた。各出入口の状況は次のとおりであつた。

(イ) 北側口

北側口には左右二つの入口があり、いづれも中央部の柱を真中にして二枚のドアが開くようになつている。こゝに支援労組を混えたピケ隊約六〇名(午後は増加)が約半数づゝ二つの入口にわかれ、左右の入口のそれぞれ両側に左右向きあう形で二列中央の柱に一列計三列、左右合計六列、それぞれ入口から鋪道に向つて直すぐ縦の隊形をつくり、一列の人数は約一〇名、午後一四、五名位の長さで、ピケツトラインをつくり、時にこの向きあつた外側の列の背後にさらに二列目が重なり、六列ないし一〇列をつくつていた。

向いあつた列の中はドアに近いところはドア(約八〇センチ)の幅を保ち、ピケの先端すなわち縦列の道路にのびた先も午前一一時頃まではドアの幅に開いていたが、時が経つにつれ次第に列も乱れ、ピケの先端は漸く人一人が通れる位の幅を保つか、又は時に雑然としてピケの通路を塞ぐように立つていることもあつた。

さらに、ピケの先端の方に列を離れて、全岩労男子組合員と支援労組員数名(以下説得班という)が、ある者は只今二四時間スト決行中と書いたプラカードを持ち、行つたりきたり、またある者はメガホンで一般通行人に対し「只今二四時間スト中です。御協力下さい」等の呼びかけをしたり、争議の目的と、協力を求める趣旨を書いたビラを配つたりしていた。

建物に向つて左側入口には、午後になつて、支援労組の旗をたてかけ、垂れ下つた旗で入口を塞ぎ入店しようとする客はこの旗をくぐりぬけなければならないようにし、また時に入口にプラカードを入口をふさぐような形で置いたりした。

ピケ隊はスクラムを組んで労働歌を高唱して気勢を上げていたが、午前中はさして目立つた入店客に対する執拗な話しかけは見られずぽつぽつ入店客は続いていたが昼近くから次第に支援労組のピケ参加者がふえ、ピケの気勢が上つた頃から、ピケの先端で、入店しようとする客に対する執拗な話しかけが行われるようになつた。

上記のようなピケの状況をみたゞけで入店を諦める客が多かつたが、こゝを押して入店しようとする客に対しては、ピケの先の方を行きゝしていた男子組合員および支援労組員が前に立ち塞がつて「今日はスト中だから買物しないで明日きてくれ」「岩田屋の食料品は高い」「食料品は今日は腐つている」あるいは「入口は西鉄ホーム側です」といつたり、それに構わず入店しようとする客には更に「はいる理由を言つて下さい」とかいつて数分押問答したりして、客の中には立腹する者もあつた。そしてさらに客がこれらの話しかけを押し切つて入店しようとすると、向いあつたピケ隊の隊列は互いに近よつて幅を狭め、押し分けなければ入れないようにしたり、また時には入口に近い方のピケ隊の数人が旗竿を横に倒して腰の辺に持ち(以下旗竿ピケという)入店しようとする客の前に突き出して通路を塞ぐということが行われた。昼頃このうちをさらに押し切つて入店しようとした客の中には腕をつかんで列の外へ連れ出されたものもあつた。

入口の内には課長が立つて客を迎えていたがピケ隊と客が押問答を始めると、課長が外に出てきて間に入り、客を入店させることも四、五回に及んだがこれに対してさらに阻止するということはしなかつた。

(ロ) 東側口

北側口と同様、全岩労組合員と支援労組を混えたピケ隊が女子を入口に近くおいて、入口から舖道へ舖道の幅の三分の一位のところまで突出して、縦に二列向きあう隊列のピケツトラインをつくり、中に支援労組の旗を二、三本立てていた。こゝのピケの人員は時により三〇名ないし六〇名の間を増減しており、多いときは一列三〇名位になつて車道にはみ出し、あるいは鍵形になつて入口の開いたドアをかくすように並んだ。午後から交通係警官の注意をうけて列を縮め向きあつた列の背後に更に一列づゝ並び、一列一〇名内外の列で四列になつた。

ピケの幅は入口のドア(約二メートル)の幅を保つていたがピケの先端は人一人が通れる幅を保つており、北側に同様ピケの隊列にある者はスクラムを組み労働歌を歌い、ピケの先には列外で男子組合員二、三名が、ある者はプラカードを持つて歩いたり、列外でビラを配つたりメガホンで一般通行人や入店しようとする客に協力を呼びかけていたが、中に客に対して西鉄ホーム側を指示し、「入口はあちらです」というものもあつたが、客と執拗に押問答して入店を阻止することはなく、昼頃は入店客の出入りがあつた。

なお、この口附近にマイクが備付けられ、終日客、通行人に対する呼かけの放送が行われた。

(ハ) 西鉄ホーム側各出入口

西鉄ホーム側には地階口、中央口、コンコース口、売店口、南口があり、各出入口は旧西鉄急行電車待合所および出札所に面し、而も新天町方面より西鉄街の方に通り抜ける通路になつており、西鉄電車利用の乗降客や通行人が多く、平常時、殊にラツシユ・アワーには相当混雑する場所である。

なお、別紙図面のとおり西鉄ホーム側出入口のうち地階口、中央口、売店口は西鉄電車発着所に向き、コンコース口は東側に向き、南口は地階口を向いてそれぞれ設けられ、各出入口と西鉄出札所との間には、本館から約二メートル(中央口、地階口からは約五メートルの位置)に一列、そこから更に三メートルの位置に一列計二列の円柱及び角柱が並んでいる。

西鉄ホーム側には組合員ならびに支援労組員を混えて約二〇〇名が各出入口三、四〇名ないし六、七〇名づゝに分れてピケをはつた。

ピケの隊形は各出入口とも、北側口東側口と同様二列が向いあつて中央口は三列、売店口は二列づゝで四列が、入口から西鉄側に向つて並ぶいわゆる縦のピケをはつた。向いあつた二列の幅は、おゝむねドアの幅(一メートルないし一、五メートル)をあけて入店する客の通路をつくりピケ参加者はスクラムを組み、労働歌を歌つて気勢を上げていた。ピケは午前中一列一四、五名の長さでその先端は一列目の柱の先まで並んでいたが、昼頃から支援労組のピケに参加する者もふえ、ピケの列と通行人および電車乗降客が混り合つて混雑し、交通の妨害になり、交通係警官の注意をうけてピケを第一列目の柱の内側に縮めた。

このようにして昼頃からピケの列は向いあつた列の背後に更に二列三列が重なりあい、列も乱れるようになつた。通路の幅はドア近くは終始比較的ドアの幅が保たれていたがピケの先端はしばしば人一人がようやく通れる位の幅に縮まつた。

ピケの先端すなわち入口の反対側では、北側口、東側口同様列からはずれて全岩労の斗争委員、支援労組員ら主として男子が三、四名一組の説得班数組が、うちある者は只今「二四時間スト決行中」と書いたプラカードをかついで歩き廻り、またある者はメガホンで通行人に「二四時間スト中ですから御協力下さい」「買物をしないで下さい」と呼びかけたりしていたが、入店しようとする客があるとこれに近ずいて二、三名で取囲み、「スト中ですから入らないで下さい」「何の用で入るんですか」「西鉄街で買物して下さい」「今日は岩田屋は高い、こゝで買わず玉屋か大丸で買つたらどうか」また地階口では「品物は腐つている」と云つたり「岩田屋は高い」「品物は悪いですよ」などと執拗に話しかけて動かず、これを押しきつて入店しようとすると、ピケ隊はわつしよいわつしよい掛声をかけながら両側から寄せてきたり、頭を下げたりして通路の幅を狭くするというようなことも行われた。これらの各出入口とも、午前中は入店しようとする客との押問答はなく入店しようとすればできる状態であつたが、午後からはかなりしつこい押問答が客と各入口とピケ隊あるいは説得班との間に繰返され、その結果買物を断念したり立腹したりする客も多く、絶対阻止という状況ではなかつたが、一〇人のうち、二、三人が押切つて入れば入れる程度の状況が続いていた。

殊にピケの隊列は、コンコース口は、はじめから鍵形に湾曲して列をつくり、午後から地階口もくの字に曲り、第一列の柱の本館に向つて右から二番目と三番目の円柱の間に、コンコース口、中央口、地階口のピケの先端が集り、すぐには入口が分らないような状態をつくつていた。また売店口、中央口には午後二時頃から、旗竿ピケ(長さ約三米)が行われ、入店客が通ると旗竿を腰の高さに持上げ、わつしよいわつしよい気勢をあげた。

また、売店口でピケの列を通つて入ろうとする男客の腕をピケ参加者が後から引張り、五、六人で「あんた会社員じやろが、労働者の敵にならんでもよか」としつこく話しかけて入店を阻もうとしたり、また婦人客に対しても取囲んで「あんたの主人もサラリーマンじやろう、岩田屋で買物せんでもいいじやないか、スト中だから」などと話しかけ、入店しようとするとピケの幅を狭めて押しあつたため、ある婦人客の着物の袖付がほころびるということも起つた。

南口には女子組合員が四、五名階段に腰かけていたほか、ピケをはつていたことの疎明はない。

南口にはピケははられず、マイクが備えつけられ、堤、柴田その他が交替して一般通行人にストに協力を求める趣旨の放送を行い時に喧噪にわたることもあつた。

各出入口からの客の入店は各出入口のピケにもかゝわらず午前中は比較的入店する者も続いていたが、午後からは客足も落ち、午後三時頃はかなり減少した。また、店から出る客に対しては殊更入口を狭めるような行動はとられていない。

申請人は各出入口とも終日二人通れる幅を保ち、説得班が客を取り囲んで押問答をしたことはない旨主張するが、証人家中義人、吉田憲司、野中孝義、申請人三重野正明の供述中右主張に合う部分は信用できず、ほかに前記認定を覆えすに足る疎明がない。

II 八月三日

前掲乙第一四号証の四、前掲甲第一五号証、および申請人芳井伸明の供述により八月三日撮影された写真と認められる甲第九号証の一ないし七、証人藤田忠蔵の証言により八月三日撮影された写真と認められる乙第三一号証、第六九号証、証人江口辰夫、山我寛満、三角一夫、坂上富美枝、伊藤美枝子、篠原久利、奥田喬、牛島光雄、相田田鶴子、桂京子、糸永清士、重松雅子、古賀強子、田島俊郎、関谷敏正、大村大助、小林武、岡慎和、富永藤枝、三浦和土、藤林恒美、毛利喜救恵、米田鏡、林スエノ、矢部健造、佐藤辰夫、吉富俊吾、猿渡光子、中野俊明、黒田勝治、郡巖、羽野透、家中義人、鈴木義一の各証言ならびに申請人芳井伸明、三重野正明各本人尋問の結果を綜合すると次のとおりの事実が認められる。

前日に比較してピケ参加者は減少し全岩労、支援労組計約三〇〇名が各入口に四、五〇名づゝに分れてピケを張りピケの隊形は入口から縦に通路をあけて張り、女子が店に近い方に並び、男子が道の方に並び、説得班には支援労組及び斗争委員がなつていた。各入口とも前日に比してやゝ道路の幅は広くなり午前中は人二人通れる幅に開いているところもあり、正午から二時頃までは昼食事の交替で、ピケ隊は減少したが、午後から支援労組の参加者がふえるに従つて、各出入口で前日と同様の、入店客に対する呼びかけ、押問答が行われた。

三日以降、マイクをさらに売店口に一個とりつけ、西鉄ホーム南口と、東側口と三ケ所で、通行人、入店客に対する呼びかけの放送が行われるようになつた。この日ピケは午後六時半頃まで張られた(閉店午後七時)各入口に目立つ状況は次のとおりであつた。

(イ) 北側口

午前中は約三〇名が一列五、六名づつ六列縦に並び、支援労組が昼からふえて約三〇名がピケに加わり、外側の向いあう列の後に並んで時に一〇列位になることもあつた説得班は前日同様三、四名また時には七、八名が列の先を徘徊し、午後二時頃入店しようとする客が近づくと、ピケの列の通路を塞ぐような形で立どまつて客に「何のために入るのですか」と問いかけ、入ろうとすると「あんた岩田屋の廻し者じやないですか」などと言つたり、また列の中にプラカードを持つて入り込み客を両側の列と、プラカードを持つ者で取囲むようにして「岩田屋はサービスが悪いですよ」「高いですよ。」「買物はよそでして下さい」という者もあつた。

午後旗竿ピケが時により行われた。

午前中は客の入りは続いていたが午後ピケの人数が増加し、列の前の呼びかけが行われた頃には屡々ピケの幅を狭めたりしたので、入店しようとする客は、ピケの列を押しわけたり、駆けぬけて入るという状況になつていた。

(ロ) 東側口

午後列は二、三列じぐざぐになつて舖道にのび、ピケの幅は一人通れる位の通路をあけていたが、午後二時頃入店しようとする婦人客に近づいて、ピケの先の方で二、三人メガホンをつけた男子労組員が寄つていつて「西鉄中央口にいつてくれ」と云つたりまた、押しわけて入店しようとすればできたが、押し分けて入ろうとする婦人客の洋傘を参加者のある者が、後からとらえてひき、客は怒つてピケ隊と押問答して結局入店した。

(ハ) 西鉄ホーム側

各入口に四、五〇人がピケをはつた。

売店口は午前中前日同様ドアの幅をあけて縦に並んでいたが、昼頃、ドアから四尺位の所から右に曲げ、別紙図面記載本館から第一列目の列柱の内向つて左から三番目の角柱の後(本館寄り)にピケの先端がゆくように並び、内側本館寄りに一列外側に二列が背中合せに並ぶようになり、この列の間はドアの幅を開いていたが、新天町から入つて来る客には一見して入口が判別できないような隊形をつくつていた。

コンコース口は前日同様一列一〇名位で二列向いあい、湾曲した隊形のピケを張つていた。

中央口は入口から真直ぐにドア二枚の幅をあけて三列ときには四列一列七、八人位で並び、午後二時過ぎには第二列柱附近まで列がのびたこともあつた。また入口から、地下入口前の柱に向つて斜になつたこともあつた。入口に近い部分には旗竿ピケがみられた。

地階入口には前日同様入口から第一列柱右から二番目の円柱に向つて斜にピケを張つていた。午後四時頃には七、八名になつたこともある。

いずれも列の外に前日同様のプラカード、メガホンを持つたものが歩き廻つており、入店しようと近ずく客に寄つて、「今日は買わないで下さい、よそで買つて下さい。」とか、「今日はストだから買物はできませんよ。」「岩田屋は高いですよ、サービスが悪いですよ。」などというほか、ピケの先端に並ぶ者も呼びかけを行つた。入店しようとする婦人客が入れてくれというと、入らないでくれという支援労組員との問答が各所で行われ、中には断念して帰るもの、押し切つて入店する客もあり、中央口では昼頃から押し切つて入店しようとした客をスクラムを組んだピケ隊が、列の幅を狭めたため、列の外に押し出された客もあつた。

午後一時頃中央口附近で、男客に続いて入ろうとした婦人客がピケの隊列の中で立どまると、メガホンを持つた組合員が肩を叩いて「何をうろうろしているか」などといつて、結局入店を断念させた。

売店口でピケの隊形をかえてから、ドア附近から入店しようとする客には外側のピケラインに立つた者が、向うのピケの先に開いた入口から入るようにピケの入口を示していた。列の横から入店しようとする客はスクラムを組んで入れないようにし、午後一時半頃ピケの入口を通つて入店しようとした客に対してはピケの両側から手を出して妨げ、客はこれを払いのけて入店した。

以上のピケのほか三日には、サンドイツチマンの店内入店、旗竿の持込等の行われたことは後記認定のとおりである。

III 八月四日

前掲甲第一五号証ならびに申請人芳井伸明の供述により八月四日撮影の写真と認められる甲第一〇号証の一ないし六、証人出水真子、藤野静子、古屋キヨ、脇野豊子、原充子、白水欽治、伊藤公孝、河辺為治朗、吉良喜代子、能戸カツ子、中村正信、堀田キヤ、金子ミヲ、毛利喜救恵、柳沢純一、鹿島ふじ子、柴戸道夫、真鍋キヨ子、藤井兌子、大河内英、平田穂積、原稔、外園真一、鈴木郁江、井上秋雄、鶴田守、田中礼子、鈴木義一、豊瀬禎一、古賀七郎の各証言ならびに申請人三重野正明本人尋問の結果を綜合すると次の事実が認められる。

八月三日総評の豊瀬から会社幹部に争議解決のため非公式な交渉申入がなされていたが四日午後会社からは譲歩の余地なしとの回答がなされた。この日は前日どおり各入口にピケが張られたほか、サンドイツチマンの入店旗持込み、ピケ隊のなだれ込みなどが行われたことは後記認定のとおりである。

この日、会社側は特別招待日の第一日目で通常の開店時間よりやゝ早目に第一ドアのシヤツターをあげて客を中のドアまで入れて、開店と同時に入店させた。この客が入店した頃から各出入口に前日同様入口はドアの幅にあけて二列が向いあつて入口に直角に縦の隊形をつくつて並びピケの人員は午前中比較的少く、午後は支援労組がふえて、平均三〇名ないし五〇名がピケについた。各ピケの先端について、または列からやや離れて、三、四名または五、六名の説得班がメガホン、プラカードをもつて客に協力を訴えあるいは、ビラ配りをしていたことは前日同様であつた。この他各出入口毎の状況は、北側口には一列七、八人で四列ないし六列が並び、ピケの幅は一メートルあいていたが午後には雑然とし、旗竿ピケがみれた。こゝでは午後客が入ろうとすると向いあつた列の両端の者が向きをかえて入口を塞ぎ、客に向きあい「ストに御協力下さい」「スト中買物しないで下さい」とか中には「岩田屋はサービスが悪い」「地下の食料品は腐つている」などという者もあつた。午後、この口から入ろうとした年寄客のバンドを後からひいて列の外え出そうとしたり(そのためボタンがとれた)、二、三の婦人客のパラソルをつかんだり、または洋服の裾を引つぱつたりして客の入店を妨げようとしたこともあつた。

東側口では前日同様二列向きあう形のピケで列の中にプラカード、旗を持つて立つている者もあり、ピケの先端が扇形に開いている時もあつたが午後、ピケ列の中に客が入つてゆくと、列の先の男が立ちふさがりこれを押しのけると次の女の人が列の中で前に立ちふさがり、順次「何を買いにきたのですか」といつて、客がどいてくれといつてもなかなか動かなかつたりして、中には列から押し出された婦人客もあつた。

西鉄ホーム側も前日同様急行電車の到着時、通行人のゆきゝの多い時刻頃、及び午後ピケ隊の人員のふえた頃には相当の混雑がみられた。

地階口は前日同様斜の(入口から第一列目建物に向つて右から二番目の円柱に向つて)のピケがはられたが時間により旗竿ピケが行われた。午後二時頃にはピケの列も乱れ、四、五名位づゝがあちこちを向いて塊り、中には地階口から地下室に降りる階段の途中までピケ隊が入りこみ、地階に降りてゆく客に向つて口々に「買わないで帰つてくれ」などと呼びかけ、そのため階段でよろけた婦人客もあつた。この頃外から入店しようとする客には、ピケ隊の女の人が客に近よつて前に立ちふさがり、右同様の話しかけが行われ、強いて入店しようとした男客のうちにはピケ隊の者に後から引つぱられ列の外え押出された客もあつた。

中央口では一列一〇名内外が二列から三列に並び午後になつて、入店しようとする客に列の中で前に立ち塞つて、前記認定のとおりの言葉で話しかけ、客と「入れてくれ」「入れない」の押問答が行われ、さらに押し切つて入ろうとする客を引つぱつたり、押したりして列の外に押し出すということも再三に止らず、中に着衣の袖を引つぱられて袖付がほころび、ために買物を断念した婦人客もあつた。

コンコース口は前日同様湾曲した形のピケが張られ、昼頃、及び午後四時過ぎ頃には、コンコース口、中央口、地階口のピケの先端が入り混り混雑し、用のある客が入れてくれとピケ隊と押問答して漸く客の出入が行われる状況であつた。

売店口には前日同様入口から第一列目の左から三番目の四角い柱の内側へ湾曲した形のピケが一日中はられた。午前中は入口の幅は子供連の客が通れる位であつたが、午後からは各入口同様ピケの列もしばしば乱れ、ピケの先端およびピケの列内で、入ろうとする客の前に立ち塞がつて話かけ、あるいは客との押問答が行われ、その間ピケ隊はスクラムを組んでわつしよいわつしよい掛声をかけたりしていた。

なお、この日は後述のとおり午後三時頃及び、六時頃一階でサンドイツチマンと会社側課長らとが対峙した時、中央口、売店口から一〇名位のピケ隊が店内にどつと入り、その間ピケ隊は入口に塊つてしばらくの間入口を塞いだ。客の入りは午前中は前日よりかなり殖えたが、午後からは前日同様減少した。

以上の事実が疎明される。

証人柴戸道夫は売店口で午後五時ごろ、ジユースをかけられたと供述しているが、それがピケ隊の意識的行為によるものと認めることのできる疎明がない。

IV 八月五日

前掲疎明によりそれぞれ八月五日撮影の写真と認められる甲第一一号証の一ないし八、乙第六二号証、証人中野俊明、石橋一雄、千原モト、大河内英、藤村敏子、綾部登美子、住山弥三郎、黒田勝治、安森千代子、鶴田美津子、吉田英子、森下のぶ、長岡平八郎、吉富俊吾、在国寺平三、佐藤辰雄、野田寅太郎、江口辰夫、大塚弥三郎、多田恭子、入船栄、松竹寛、安楽久瀰、前田雪雄、鶴辰雄、田路庄吉、藤川実、辻信子、芦田賢太郎、矢野健三、河野直輔、白石雅子、家中義人、羽野透、鈴木義一の各証言ならびに申請人三重野正明本人訊問の結果を綜合すると次のとおりの事実を認めることができる。

会社側は特別招待会の入店客を早目に入店させ組合は開店後各出入口に前日と同様の隊形のピケを張つた。ピケに参加する全岩労の組合員は前日より減少したが午後から支援労組のピケに参加する者が殖え、多いときは平均して各入口五〇名位がピケについた。列の長さは午前中七、八名、午後は一二、三名になつたところもある。ピケの幅は前日に比較して、二人の幅が保たれたが、次第に連日の暑さと疲労のため坐り込んだりする者もあつた。ピケの先の説得班の行動も前日のとおりであり、ピケの隊列の先でメガホンで呼びかける者、プラカードを持つて立つものもあつた。

各出入口に、昼頃警察官と斗争委員、ピケの責任者が立会の上北側口は入口から二メートル位の位置に、西鉄ホーム側は第一列目の列柱の内側に、それぞれドアの幅で地上にペンキでピケの長さおよび幅を標示した。この後二時頃まで標識の位置にピケ隊が並びピケは整然としていたがその後はしばしば雑然とすることがあり、警察官の注意をうけては標識の位置に戻るということを繰返していた。また、各入口ともピケの隊列を横切つて入ろうとする客に対しては、ピケ隊は相当強い態度で入店を妨げようとしたことが見うけられた。このほか各出入口の状況は、次のとおりである。

北側口ではピケの列の中に入つて来る客の前へ、メガホンを持つた者が横からすりぬけて前え立ち「ストに協力して下さい。お買物はよそでして下さい」と呼かけて動かず、押しのけて、入店しようとする客と云いあいをしたりさらに押しきつて入店しようとすると、向い合つた列が向きをかえて客に背を向け、ピケの幅をそれだけ狭めたり、横から引張つたりした。

東側口では午前中ピケは少く、二〇名位が二列に分れていたが、午前一一時頃には支援労組員が加つて二、三〇名になつていた。五、六名がスクラムを組んで、客の前に立ちふさがつたりしたほか、客に対する呼びかけは北側口と同様であつた。

地階口ではピケについた者四、五人が口を揃えてピケの列を通つて入る客に「岩田屋の食料品には赤痢菌が入つている」といつていた。中には階段を途中まで降りて地階売場に向つて叫ぶものもあつた。午後ピケの先端の支援労組員が入店しようとする客と押問答し、その間女子組合員がわつしよいわつしよいとはやし、また客の前に丁重に頭を下げてたり、また旗竿を数人で持つて客が通ろうとすると前え出すという旗竿ピケで、ピケの幅を瞬間狭めるということが行われた。

地階口および中央口とコンコース口のピケの先端は先を接しこのピケの先端を説得班が歩くと、出入口がわかり難い状況がしばしば起つた。中央口から入ろうとする婦人客を組合員四、五名で取囲んで協力するよう話しかけ、あるいは「貴方の御主人も労働者じやありませんか」と嫌味をいう者もありまた昼頃入店しようとする客に立ち塞がつて「岩田屋の食堂には赤痢菌がいて危い」といつたりする者があつた。

売店口では地階口、中央口と同様の言葉で話しかけが行われたほか、話しかけの方法として客の前に立ちふさがり、あるいは取り囲んで執擁に話しかける方法がとられ、また時には旗ざおピケが行われ、旗ざおを左から四本目の円柱と同三番目の角柱の間に突き出してピケの入口を塞ぐという状況もあつた。

なお閉店間際に一階でサンドイツチマンと会社側課長等と対峙した時中央口よりピケ隊が一〇数名なだれ込みその間ピケ隊は入口に塊つてわつしよいわつしよい気勢を上げ入口を暫時塞いだ。

以上の事実が認められる。

被申請人は売店口のピケ隊が客にジユースをかけた旨主張し、証人長岡平八郎の供述によると、同人が売店口の人混みでジユースをかけられたことが認められるけれども、右事故が組合員の故意によつてなされたものかどうかを認めることができる疎明がないから右主張は認め難い。

なおこの日は後記のとおり、サンドイツチマンの入店旗持込み、領収書事件があつたほか、閉店間際の店内乱入事件があつた。

V 八月六日及び七日

前掲疎明によりそれぞれ八月六日及び七日撮影の写真と認められる甲第一二号証の一ないし三、乙第五四号証、第七七号証、証人中野俊明、大村大助、黒田勝治、在国寺平三、古野義之、山口チカ子、江口辰夫、井上秋雄、小林八郎、中村晴子、花田かほる、大久保スガ、中島昌美子、井上茂正、西島志満子、武田七郎、田中カチ子、前川武彦、松竹寛、木宮京子、鶴辰生、上杉昌弘、藤野浩巧、酒井初子、三好幸雄、北村隆知、高取トヨ、辻信子、松岡肇、家中義人、羽野透、鈴木義一の各証言及び申請人三重野正明本人訊問の結果を綜合すると次の事実を認めることができる。

八月六日まで特別招待会が行われ、この日会社は前日どおり招待客は開店前に入店させ、組合はその後にピケを張つた。六日からピケ参加者は激減し、殊に全岩労組合員は一二〇名位となり、午後支援労組が加わつて二〇〇名位となり、七日午前中も少なく(参加者一二〇名位であつたことは当事者間に争いがない)七日午後四時頃支援労組が殖えた。従つて六日以降はピケにつく者は女子よりも支援労組の男子の方が多くなつた。

各出入口のピケの隊形は従前と同様で、各出入口午前中二〇名位午後三、四〇名となり七日の午後に四、五〇名となり一列一〇名位の列であつた。

メガホン、プラカードを持つてピケの先を歩くものビラを配るものは前日と同様であつた。北側口では前日同様、客が入ろうとすると列に並ぶものが向きをかえたり頭を丁重に下げて瞬間列を狭めたりしていた。客に対する話かけは主として「岩田屋で買わないで協力して下さい」が用いられていた。六日午前中入店しようとする客に入らないでくれと胸を突いたことがあり、さらに入ろうとする客の顔すれすれにプラカードを持つ者もあつた。

東側口では列が雑然とし、ピケの先端が斜に曲つていたこともある。六日の午後四時頃入店しようとする客に前に立つてビラを配ろうとし、これを押して入ろうとすると更に他の者が前に立つて同じ客に執擁にビラを渡そうとしたことがある。

地階口では六日午後旗竿ピケがみられたほか、客が通うとする時に客に対して向きをかえるのが繰返された。地階口では六日には五日と同様「岩田屋の食料品には赤痢菌がいる」という言葉がきかれた。地階口、中央口、コンコース口の先端が接近していたことは前日と同様である。中央口では旗竿を持つたこともある。売店口には七日午後旗竿ピケがみられた。

八月六日昼頃中央口と売店口で四、五人のピケ隊に取囲まれて突かれ、列の外に出された客、八月七日コンコース口で出ようとする客が、ピケ隊五、六名にふさがれ、ぽんと突かれて荷物をとり落したことがある。コンコース口と売店口ではピケの横から入ろうとする客には「ピケ破り」といつて、スクラムを組み横から入る客を拒むという態度をとつていた。

以上のほか、六日、七日には客との押問答は前日よりも少く、ピケを意に介せず入店する者多く、客の入りも次第に回復していた。

なお、六日午後閉店間際に、一階でサンドイツチマンと会社側と対峙したとき、前日同様中央口のピケ隊が乱入し、暫くの間出入口を塞いだ。

以上の事実が認められる。

(2)  サンドイツチマンについて

成立につき争いのない乙第一八号証の一、二、第二〇号証の一、二、前掲各疎明により昭和三三年八月三日撮影されたものと認められる甲第九号証の一〇、一一、第一六号証の三、同年八月三日ないし七日にそれぞれ撮影された写真と認められる乙第二五、二六号証、第四四号証、第四五号証、五八号証、第七〇ないし第七六号証ならびに証人江口辰夫、山我寛満、三角一夫、篠原久利、奥田喬、手島光雄、相田田鶴子、重松雅子、古賀強子、米田鏡、田島俊男、関家敏正、大村大助、藤野静子、脇野豊子、小林武、岡慎和、原充子、白水欽治、伊藤公孝、吉良喜代子、堀田キヤ、毛利喜救恵、鹿島ふじ子、中村正信、真鍋キヨ子、平田穂積、外園真一、住山弥太郎、吉富俊吾、在国寺平三、古野義之、野田寅太郎、森下のぶ、井上秋雄、中島昌美子、西島志満子、武田七郎、田中カチ子、岡高子、入船栄、松竹寛、家中義人、鈴木義一、田中礼子、藤野浩巧、上野益美、羽野透、豊瀬禎一、郡厳、中野俊明、糸永清士、横尾信義、松本金也の各証言ならびに申請人三重野正明、同三重野栄子、同芳井各本人の供述を綜合すると次のとおりの事実を認めることができる。

I 八月三日

午前一一時頃支援労組の一人が長さ四〇センチ、幅三〇センチ大のボール紙二枚に「只今、二四時間スト中です買わずに御協力下さい」と書いたプラカード二枚を体の前後にたらした風態、いわゆるサンドイツチマンとなつて店内に入り、店内を徘徊したこと、会社の高島営業次長と問答の後店外に出たこと、午後にも店内にサンドイツチマンが入店した(このことは当事者間に争いがない)。

午前中入店したサンドイツチマンと同様の風態をした支援労組員によるサンドイツチマンが、午後二時頃から各入口より二、三人一組で四、五組が店内に入店しようとして各入口の課長と押問答の末、内二、三の者は入店して一階、地階を歩き、中には客の傍によつて、「買わないで下さい、ストに協力して下さい。」というものもあり、地階ではメガホンで、「腐つている」とか、「悪い」とかいうものもあつた。さらに午後四時半頃から支援労組員約二〇名が四、五名一組となり四、五組が、各組二階づゝを担当し、客を装つて店内に入つてから店内でプラカードをつけて、八階から一階まで各階をゆつくりと縦に列をつくつて徘徊し、逐次一階に降りて、さらに一団となつて一階を徘徊しようとした。そこで、これを外に出そうとする会社側課長団と対峙し、切迫した空気の中で押問答した上やがて外に出た。

II 八月四日

午前中から、支援労組員三、四名あるいは五、六名一組のサンドイツチマン数組が店内に入り、各階を列をつくつて歩き、一階、地階、二、三階ではメガホンで客に協力を呼びかける者、または客の傍へ寄つて買物しないでくれと執拗に話しかける者もあり、午後二時頃、一階ネクタイ売場では客の耳元で「岩田屋の品物は高い」とか、「サービスが悪い」とかしつこく云つたため委託販売店員とサンドイツチマンとが云いあい、これに課長らが加わり、出るようにいつてもなかなか動かないということがあつた。

午後五時頃には、支援労組員約三〇名が客を装つて店内に入り、屋上に集つて、ボール紙でなく、洋紙に前日同様の文字を書いたものを体の後につけ、一〇名位づゝが一組となつて、八階から順次各階をゆつくりと徘徊し、うち、ある組は八階特商売場、七階食堂を通りぬけ、七階では食事している客の傍を一人づゝ「岩田屋で買物しないで下さい、ストに御協力下さい」と云いながら通りぬけたりして、一階まで順次各階売場道路を一列になつて通りぬけ、北側階段コンコース口階段から降りた各組が、一階でさらに一巡しようとしたところ、スクラムを組んでこれを阻止しようとする会社側の課長の一団と向いあい、前日同様一時険悪な状態に立至つたところ、総評の豊瀬が仲に入つてサンドイツチマンらを引揚げさせた。

III 八月五日

午後二、三名あるいは四、五名一組になり、(うち一組には全岩労の組合員も入つて)支援労組のサンドイツチマン二、三組が店内に入り、多くは黙つて一列に並んで通りぬけていつたが、中には、六階、四階ではメガホンで「ストに御協力下さい」と呼びかけたり、支援労組の組は客の傍に立ちどまり、「そんな傷ものは買いなさんな」とか「ストに協力してくれなければ困る」とかいつて客の買物を邪魔するものもあり、また地階では婦人客に、「おばさん何買うのか」としつこくついて廻つて買物を断念させたりするものがあつた。

午後六時頃支援労組及び全岩労の組合員も混えたサンドイツチマン数組が一階を歩き廻り、これを阻止して外に出そうとする会社側課長の一団一〇数名と交通公社附近で押し合い、烈しい口論のやりとりの末、約二〇分位して警察官が介入して引揚げた。この間中央口のピケ隊多数が入り込み、中央口のピケは入口に塊つてわつしよいわつしよい声援していた。

IV 八月六日

午後三時頃支援労組員約二〇名が店内に入り、前日同様屋上でサンドイツチマンになり、一〇名位が一組になつて、一列をつくつて各階売場の道路を練り歩き、また時にはぢぐざぐになつて道路をふさぎ、七階では食堂の中を客の傍を通りぬけながら、メガホンで呼びかけるものもあり、順次各階を降りて一階売場を一巡しようとし、前日同様これを阻止して外へ出そうとする課長ら一〇数名の一団と交通公社前で対峙し、この際東側口よりピケ隊多数も入店し、暫時、会社側と通せ通さないの激しい口論の末外に出た。この間附近の売場は相当に混雑した。

また午後六時頃にも一階売場でサンドイツチマンの一団が通路一ぱいになつて歩き、これをとめて外に出そうとする課長らと対立して一瞬険悪な状態になつたが、警察官が介入して結局外に出た。

V 八月七日

前日同様夕方閉店間際にサンドイツチマン六、七名が地階及び一階を徘徊し、課長らが出ていくように制止しても、すぐには出ていかず押問答を繰返した。

(3)  旗又は旗竿持込みについて

証人藤井忠蔵の証言により八月三日撮影の写真と認められる乙第二七、二八号証ならびに、証人江口辰夫、篠原久利、糸永清士、白水欽次、黒田勝治(第二回)、三浦和土、住山弥一郎、在国寺平三、藤野静子、井上秋雄、横井信義、郡厳、伊藤公孝、松本金也の各証言を綜合すると次の事実が認められる。

I 八月三日

午後二時頃から、支援労組が四、五人づゝ一組となり三メートルから四メートルの旗竿をかついだ一団が数組あいついで、阻止する課長らを押しきつて店内に入り、一、二階あるいはエレベーターで上に上り、さらに上の階の売場通路を塞ぐようにして歩き、また六時頃には北側口から支援労組員ら三、四〇名が二本の旗を先頭にサンドイツチマンも混えて入店し、四人位で旗竿を水平に持つて一階売場を練り歩き、課長らがこれを阻止すると、うちある者は地階に降りてサンドイツチマンと一緒になつて練り歩いた。

なかのある者はお客の傍え寄つて、「買物をしなさんな、出ていきなさい。」、また、「早く出てくれ、サービスが悪い」というものもあつた。

II 八月四日

午後四時頃、支援労組約三、四〇名の一団がうちに旗二、三本をそれぞれ二、三人で持つて北側口から入らうとし、高島次長が入口で阻止したのにそのまゝ入店し、エレベーター附近で阻止しようとする会社側課長らと云いあつて、内一四、五名は旗竿を持つ者を混えたまゝエレベーターに乗つて上の階に昇つてゆき、残りの者はそのまゝばらばらに別れて出ていつた。

六階でも、旗を五、六人で横に倒して売場道路を歩く者があり、岩田屋の品物は高くてサービスが悪いというものもあつた。

III 八月五日

前日同様、一階、地階、六階で旗竿の一団がみられ、地階、一階では縦に長く倒して、売場道路を、客が身をよけねばならないような形で歩き、客の耳元で呼びかけを行つていた。

(4)  店内乱入事件について

証人中村正信証言により八月四日撮影の写真と認められる乙第三二号証、証人山我寛満、江口辰夫、古賀強子、重松雅子、中村正信、佐藤辰雄、住山弥太郎、黒田勝治、在国寺平三、野口寅太郎、鈴木義一、豊瀬禎一の各証言、申請人三重野正明本人の供述を綜合すると次のとおりの事実が認められる。

I 八月三日

午後二時頃中央口附近に入店して来た三重野、八柄とこの入店を阻止しようとする課長らと、入らせよ入らせないで押問答が行われた際、中央口のピケ隊約二、三〇名がどつと入店してきて課長を取巻いて三重野らに加勢し、この間中央口のピケは入口に入つてわつしよいわつしよい委員長を声援したりして、ために約二〇分位薬品売場附近は喧噪をきわめたが警官が仲に入つてすぐ中央口から出た。

(三重野、八柄が同時刻頃中央口附近に入店していたことは当事者間に争いがない)

II 八月四日

午後一時頃三重野と平田が西鉄ホーム中央口より店内に入らうとしたのをみて課長二名がこれを制止したところ、同入口のピケ隊が数名応援のため入店し、課長ら一〇数名と約二〇分押問答した末外に出た。

午後三時頃、平田が支援労組のサンドイツチマン四、五名とともに中央口から入店し、これを阻止しようとする課長ら一〇数名が交通公社前で出るように押問答して対峙した際、中央口のピケ隊二、三〇人が走り込んで平田らを応援し、険悪な状態が約二〇分つゞいて平田らは結局押しきつて店内を廻り、ピケ隊は入口に戻つた。

午後六時頃、前記認定のとおり、一階でサンドイツチマンと課長団とが対峙したときにも中央口、東側口のピケ隊の男子多数が店内に入り込んでサンドイツチマンを応援し、この間入口のピケ隊は入口にむらがつて労働歌を歌つて声援していた。

III 八月五日

午後六時頃前記認定のとおりサンドイツチマンの一団と、会社側課長団とが一階交通公社前で対峙した際、中央口及び売店口のピケ隊が多数入り込んで、サンドイツチマンに応援し警察官の警告により、ピケ隊サンドイツチマンは外に出た。

IV 八月六日

午後三時及び午後六時頃一階でサンドイツチマンと会社側課長団とのこぜりあいの起つたとき午後三時頃は中央口から、午後六時頃のときには中央口及び東側口からそれぞれ約一〇数名が前日と同様入店し、前日同様に会社側と主として口論で烈しく対立し、約二〇分して警官の勧告により解散した。

(午後三時頃、中央口附近に入店していたサンドイツチマンを会社側課長らが店外へ出そうとしていたことは当事者間に争がないところである。)

(5)  領収書事件について

成立につき争いのない乙第二一号証の一、二、第二二号証の一、二、ならびに証人黒田勝治、奥村耕作、在国寺平三、横尾信義、高村和幸、佐藤辰雄、中野俊明の各証言を綜合すると次の事実を認めることができる。

八月五日午後五時過ぎ、四、五名の腕章をつけた支援労組(全逓、自労)のリーダーを先頭に自労女子組合員約五〇名が地階に入り、菓子売場、乾物売場、玉子売場等に一〇名位づゝに分れ、各々価格一〇円位の買物(チヨコレート一個、そうめん一把、玉子一個づゝの如く)をした上、係員がレシートを渡すと、社長印のある正式領収書を要求し、会社側は店内放送でレシートが正式領収書に代用する旨を放送する一方課長、主任係員等が繰返しその旨説明しても容易に納得せず、執拗に正式領収書を要求して売場を去らず、遂にこれが貰えないときまるや、更に半数位の者は買つた品物をいらなくなつたからと云つて返品を要求し、また、なかには売場をかえて同じことを繰返し、その間、自労の幹部が「岩田屋はサービスが悪い。」「買物をしても領収書をくれない」などと演説していたが、六時少し前引揚げた。

この間これらの売場には一ぱいの人だかりがし、一般客にはよりつけない状態であつた。

申請人は右領収書要求事件は全岩労とは関係なく行われたものであると主張するからこの点について判断する。前掲各疎明に証人家中義人、神代良則、羽野透、鈴木義一、豊瀬禎一の各証言、申請人三重野正明本人の供述を綜合すると、支援労組の責任者と三重野とが(その意図はしばらく措くとしても)、戦術として支援労組員が店内で買物をし正式領収書を要求するという方法をとることと、その実施方法につき協議したこと、八月五日午後全農林、全逓、市従連、全自労等支援労組員約一四、五名が集り、鈴木から指示をうけ買物の資金として一人宛一〇〇円を受とり、それぞれ二、三人あるいは四、五人一組になり顧客を装つて入店し、各階にわかれて買物をし、会社がレシートを出したら正式領収書を要求するという行為を一せいに行つたこと、その間店内ではレシートを正式領収書に代用する旨の放送が行われていたこと、一階売場では午後三時過ぎ一〇円の安全かみそりの刃一枚を買つて、しつように正式領収書を要求する者があり、その頃地階売場でも、前記認定の閉店間際の一団と同様のやり方で、支援労組の一団が正式領収書の要求をしていたことが認められる。また、証人横尾信義、古賀七郎の証言によると、七月四日既に正式領収書を要求する者があり、七月四日地階売場で五、六人がポーズ二個づゝ買い、係員がレシートを渡したのに対し、正式領収書を要求し、お買上明細書を出したところ、しばらくして上杉斗争委員が領収書があるから返品するとして、なまものは返品を認めない売場の方針を知りながら返品を迫つたこと、及び五日二回目の領収書要求事件の頃芳井斗争委員が一団のリーダーと話していたことが認められる。これらの事実と、前認定の五日閉店間際における領収書要求の状況を照し合せると、前記認定の領収書要求事件もまた、全岩労と協力関係にある支援労組員が、全岩労と連繋の上、本件争議の実効を挙げる手段として行つた争議行為と判断せざるを得ない。

証人家中義人、鈴木義人、豊瀬禎一の各証言、申請人三重野正明、三重野栄子各本人の供述中、八月五日午後六時の地階の領収書要求事件は全岩労ないし支援労組と関係のない者たちにより行われたもので、争議関係者は後日このことを知つた旨の供述は信用しない。

(6)  店内での宣伝活動

成立に争いのない乙第一二号証の八、第一四号証の六、七、証人藤野静子、松本金也、中村正信、吉富俊吾、在国寺平三、野田寅太郎、井上秋雄、白水欽治、黒田勝治、江口辰夫、佐藤辰雄、郡厳の各証言を綜合すると、八月三日以降、毎日殊に六日、七日は最も多く、全岩労の組合員や支援労組の者が、二、三名づゝ腕章をはずし、又ははめたまゝ店内に入り売場で就業中の岩百労の従業員に対し、就業をやめて全岩労に復帰するよう話しかけたり、その趣旨のビラを配つて歩いたり、ビラをカウンターの上に置いていつたりして、宣伝活動を行つた。すなわち、八月三日には堤、芳井らが三、四、五階で話しかけ、八月四日には二階売場で五日にも傘売場のカウンターの中で支援労組員が従業員に話しかけており、八階特商売場でビラを配るものまた六、七日には特に多く入店し、地階でビラを配るものもあつた。

以上の事実が疎明される。

そこで次に右のように行われた争議行為の正当性を個別及び全般について判断する。

第四、争議行為の正当性

一、ピケツテイングについて

ピケツテイングが、労働組合の行うストライキに随伴して行われる場合、ストの実効をあげる手段として、使用者を労働市場から切離すため行われるほか、使用者を商品市場から切離すためにも行われる。ピケツテイングが後者を目的とし、一般消費者のみを対象とするときは、むしろ、ボイコツトに伴うピケツテイングの性格を有するものと解すべきであり、本件争議行為のピケツテイングが、終始顧客を対象としていたことは前記認定のとおりであるから、本件ピケツテイングはボイコツトに伴うピケツテイングと解せられる。

然るときは本件ピケツテイングにおいては原則として平和的説得以上にでることは許されず、その説得も厳格に解せざるを得ない。なお、ピケツテイングの手段として多数の組合員が店舖出入口に集合してピケツトラインをつくり、顧客の出入口を完全に阻止し顧客の購買行為を不可能にすることが許されないことはいうまでもないが、我が国に労働争議の慣行が未だ確立していない現状を考慮するとき、顧客に対し心理的威圧を感じさせず、また顧客の出入りの妨害にならない程度の人数が出入口に人垣をつくることは、未だ説得の手段として正当の範囲に属するとすべきである。

そこで本件ピケの態様について考えると、まず、入口の左右両側に向きあつて組合員が立ち並び、縦のピケツトラインをつくること自体は、この隊形において向きあう二列の長さが、おゝむね入口から七、八人ないし一〇人位であつたことは前記認定のとおりであるから、この限度においては、まだ、こゝを通つて出入する顧客に対する心理的威圧を与えるものとはなし難く、この列が、入口の幅を保つて通路をあけている限りは、前記原則に照すと、この隊形のピケを通つて入店しようとする顧客に、ピケツトラインの先端付近または先端にいる組合員が近寄つて、同情を求め、争議を有利に解決するよう協力を求めることは言論による平和的説得の範囲として正当と考える。

然しながら、時に、このピケツトラインに於いて、この通路にプラカードを持つて立ち塞がつて出入口を塞ぎ、あるいは、ピケの両側の列が近よつてその幅を狭め出入口を塞ぐような行動に出たこと、二日北側口にあつたように入口を塞ぐような形に旗を立てかけたり、または、西鉄ホーム側の売店口、地階口でピケの列を彎曲させ、その先をコンコースの円柱に向けてその入口が容易に分らぬ様にしたりしていたことは、多数の顧客の出入を物理的に妨害するものであつて、このようなピケラインにおける行動は、顧客に対する説得の手段として、前記説示の原則に照すと正当の範囲を逸脱するものと解すべきである。また前記認定により認められるピケラインにおいて顧客に対する話しかけの際用いられた「今日はスト中だから買物はできませんよ、他店で買物して下さい」「入口は西鉄ホーム側です」等は、顧客に対し一時的に出入口をふさぐ行動をとつたのと同一視せられるから、結局前記説示の出入口妨害行為と同一の評価をうけるものと解せられる。

また、軽微とみられるある程度の肉体力の行使も、それが争議に全く関係のない第三者たる顧客に向けられたものである場合には、これを厳格に解すべく、かゝる肉体力の行使は既に、異常な雰囲気を伴う争議場裡における単なる行き過ぎとは看過することのできない、正当性の範囲を逸脱した違法な行為と解すべきであり、かゝる立場からみると、前記認定のとおり各出入口において、行われた客を後から引つぱつて列の外へ連れ出したピケ隊の行為は暴力行為とみるべく、これはもはやピケの正当性の限界を逸脱した行為と断ぜざるを得ない。

次にピケ隊が顧客に対し、ボイコツトとして行う説得行為も組合の行つている争議に対して協力を求めることを以つて限界とすべく、それを越えて積極的に会社の悪口をいうことは、これまた、正当性の範囲を逸脱する違法争議行為と解すべきである。そこで、前記認定により認められるピケラインにおいて顧客に対する話しかけの際、用いられた「岩田屋の食料品は高い」「岩田屋の食料品は腐つている」「岩田屋の食料品には赤痢菌が入つている」「岩田屋の食堂には赤痢菌がいて危い」等の言葉は、前記ボイコツトの基準に照すともはや明らかに正当性の範囲を逸脱した違法行為と断ぜざるを得ない。

尤も、これらのピケラインにおける違法行為を、ピケ全体の状況に照すと、これらの逸脱を以つて、ただちに二日から七日まで行われたピケを全体として違法な争議行為とすべきものではない。

すなわち、顧客の入店妨害、暴行、悪口の状況を、二日から七日まで行われたピケ全体の関連において考えると、前記認定のピケツテイング(第三(1)I―VI)の事実において明らかなとおり、スト期間を通じ午前中は比較的ピケ参加者も多くなく、ドアの幅は大体平静に保たれていたこと、ピケラインにおける前記のような入店妨害、暴行、悪口などが行われたのは午後支援労組の参加者が加わつて気勢の上つた際多く行われ、その通路閉塞の状態も、一時的行動によるものであつて、常時完全に顧客の入店を阻止するという態勢を示したものではなく、押して入店する客は入店し得る程度のものであつたこと、而もスト期間の後半に至つてはピケ参加者は減少していたこと、等を考え合わせると、これらの行為が、顧客に対するピケとして正当の範囲を逸脱することは前記説示のとおりであるとしても、未だピケ全体を以つて違法な争議行為とみることはできない。

なおサンドイツチマンと課長団との対峙に際し、あるいは斗争委員らの入店に際し、各出入口のピケ隊が店内になだれこんだ行為は、ピケ隊が常時争議行為として行つたものと認めることのできる疏明はなく、これらの行為はむしろ、前記認定の状況からみて、争議参加者と、会社課長団との対向関係から派生した一時的現象とみるべく、しかも店内滞留も比較的短時間であつたことに照し、むしろピケラインの一時的崩れとみるべく、これを以つて、未だピケの正当性の範囲を著しく逸脱したものとは断じ難い。

二、サンドイツチマンについて

三日から六日までに行われた所謂サンドイツチマンの店内漫歩は、前記認定の行為の態様からみて、積極的に会社の業務妨害を意図してこの行為に出たものと推認せざるを得ない。すなわち、百貨店営業のような企業にあつては、顧客が常に職場に出入するため争議行為を行うことがともすれば顧客の権利を侵害するおそれのあるところから、かゝる企業においてとられる争議手段は、生産部門の企業におけるよりも一層慎重に選択すべきものであり、また、争議中といえども組合は使用者の継続する業務を積極的に妨害する権利ありとはされない。然るときは、前記認定のとおり争議中争議参加者立入禁止の立札が八月二日より各入口に出されている以上、敢て入店することが不当であることはいうまでもないが、このことの不当性はおくとしても、顧客が購買行為のため入店している店内を、前認定のとおりの風態で徘徊し、さらに、既に売場で商品の選択にとりかゝつている顧客の傍にまで行つてしつように話しかけ購買を思いとゞまらせようとする行為は、著しく顧客に不快感を与えるものであつて、もはや顧客の自由な意思に働きかけて購買を思いとゞまらせる説得の限界を越え、顧客にむしろ不当な圧迫を加えて購買意欲を失わせて購買行為を妨害するものであり、結局顧客の自由な購買行為の上に成立つ会社の営業を積極的に妨害する行為と断ぜざるを得ない。従つて、敢てかゝる行為に出た以上、会社の業務を積極的に妨害する意図をもつてなされた、積極的業務妨害行為とみざるを得ず、かゝる争議行為が正当な争議行為の限界を越えた違法行為であることは明らかである。

三、旗、又は旗竿持込み

支援労組員が、旗あるいは旗竿を店内にかついで入店し、通路を妨害するような形で店内をねり歩いた行為は、その態様からみて、前記サンドイツチマンの店内漫歩と同様の理由から、会社の業務を積極的に妨害する意図を以つてなされた積極的業務妨害行為として、違法な争議行為と判断される。

四、領収書要求事件

五日に行われた領収書要求事件もその行われた行為の態様、場所、すなわち、一つの売場に多人数が集り、それぞれに僅少な買物をし、しかも前記認定のとおり、百貨店において特段の事情のないかぎり通常発行する必要のない領収書をしつように要求し、あるいはこれに応じないときは返品を迫つて、売場係員に応接のいとまなからしめている行為自体よりみて、この行為はこれに応接する従業員の事務能率を引下げ、あるいは特定の売場を一時的に占拠して客の購買行為を妨げることにより、結局会社の業務を妨げる意図を以つてなされた、積極的な業務妨害行為とみざるを得ず、これも、また、違法争議行為の評価をうくることを免れない。

証人鈴木義一、同羽野透、同豊瀬禎一の各証言、および申請人三重野正明本人の供述中、正式領収書の要求は岩百労組合員説得の手段として行つた旨の供述は、店内において現に就労している岩百労組合員に対し、勤務時間中を選んで説得する行為自体穏当を欠く(後記説示参照)ことはともかくとして、前記認定の事実に照すと、右行為自体の対象効果から推して、右供述するような意図をもつて行われたものとは考えられないから、右供述は信用することができない。従つて右行為を以つて、組合が正当な争議行為を行うことを意図していたところが、その実施の過程において当初の意図したところを超えた行為が起つた場合と同一視することはできない。

また、争議中の組合の支援に参加した外部団体の者に会社施設内への立入権が当然あるとは考えられないのみならず、前記認定のとおり会社は争議の当初から争議関係者の店内立入を禁止する旨の立札を立てゝいることを考え合わせ、さらに、その入店の意図が前記の認定のとおりのものである以上、買物をして領収書を要求するのは当然の権利の行使であるとして、この買物に藉口してなした違法な行為を正当化することはできない。

五、店内における宣伝活動

支援労組あるいは全岩労組合員のなした岩百労組合員に対する宣伝活動は、それが、店外において、就業前の説得の方法をとらず、これらの者が店内において既に就業している場所で、而も就業時間に行われている点よりみて、前記サンドイツチマンないし領収書要求戦術と同様、就業中の従業員に話しかけその事務能率を低下せしめて会社の業務を積極的に妨害するものであるから、違法な争議行為と解すべきである。

六、総括

以上要するにピケにおける顧客に対する入店阻止、暴行、説得の方法としてとられた会社に対する悪口、サンドイツチマン、領収書要求、店内旗持込み、店内宣伝活動等は、正当な争議行為の限界を逸脱していると解せられるから、これら逸脱した違法行為の関係責任者は、右違法行為につき責任を負うべきものである。

これらの行為は会社に対する業務妨害と解せられ、右業務妨害により当然会社は損害(それが幾何であるかにつき算定は困難であるとしても)を蒙つたことは推認するに難くないし、また一方会社の名誉信用を毀損する行為と解せられるから、前記認定の会社就業規則第八一条六号の「故意又は重大な過失によつて会社に損害を与えたとき」、及び同条一二号の「その他前各号に準ずる行為のあつたとき」(こゝに前各号に準ずるとは六号に準じ、故意又は重大な過失によつて会社の業務を妨害し、又は会社の信用を毀損する行為をさす趣旨と解せられる)に該当する。

さらに、前記の違法行為の関係責任者各人の行為の個別的態様によつては、同八一条六号一、二号または八二条二号の他人に対し暴行脅迫を与え又はその業務を妨害したとき(右規定の趣旨は、就業規則八一条、八二条各号の規定と、就業規則の性格に照すと、故意に特定の会社従業員に暴行脅迫を加えたとき、又は故意に特定の会社従業員の個別的業務を妨害したときと解すべきである。)に該当する場合もあらうが、この点については各行為につき個別かつ、具体的に検討して決することゝする。

従つて、各自の行為の該当についてはさらに検討を要するとしても、前記違法行為に関する責任者が、まずこれらの条項を適用されても止むを得ないものである。そして情状の軽重によりその責任の軽重を定めている就業規則の適用上、その情状の軽重により、その責任について軽重の差を生ずべき場合のあることは、これもまた当然のことと解すべきである。

第五、申請人ら各自の行為と責任

まず、申請人目録(一)記載の申請人について判断する。

申請人らの行為のうち、前記違法争議の企画指導については共通するからまず、これにつき検討し、つぎに各人の個別的行為の態様ならびに就業規則該当の当否について検討を加える。

一、争議行為の企画指導について

違法な争議行為については、その行為者ばかりでなく、これを企画し、指導した、斗争委員においてもその責任を負うべきことは勿論であるが、また、斗争委員は争議に当りその統制力を充分発揮して組合員の組合活動が許された正当な限度を超えることのないよう万全の注意をなすべく、少くともその統制の及ぶ範囲において苟も違法な争議行為がなされていることを知つたときはこれを放置することなく直に阻止するにつき有効適切な処置をとることを要するものであつて、その統制の及ぶ範囲内において違法な争議行為が実行されていることを知りながら、これを阻止しうるに拘らず放置して制止しなかつた場合にも、当該行為の指導を行つたと同一視せられる結果、その容認した違法行為につきその責任を負うべきものと解するを相当とする。しかも、斗争委員はその統制下にある組合員の違法な争議行為について責任を負うばかりでなく支援を依頼したような密接な連繋ある外部の応援団体の違法行為についてもなお責任を免れないと解すべきである。

まず、ピケツテイグについて斗争委員会が入店客絶対阻止の強い方針をとつていたことを認めることのできる疏明がない。却つて七月二八日の斗争委員会において顧客に対し縦のピケをはることが決定されたことは前記認定のとおりであるが、証人豊瀬禎一の証言、申請人三重野正明本人の供述によると、右委員会の討議において、全岩労執行部より企業の特殊性を考慮して争議手段をとるべきことの意見が出され、結局顧客に対してはできるかぎり説得で協力を求め、なお入店しようとする顧客は通す方針が決つたことが認められ、前記認定のとおり、その後のピケの状況で、かなりの客が入店したことを考えあわせると、ピケツテイングについて顧客の入店を絶体阻止する程の強い方針が決定されたものとは認め難い。

然して斗争委員は、ピケの実施体制として前記認定のとおり、幹部三役および支援労組最高責任者は本部に常駐し、その他の斗争委員を各出入口の責任者として配置し、ある者はまた本部との連絡に当る等、それぞれその任務を分担し、ピケに参加する支援労組も責任者をきめ、各出入口のピケ隊と本部の連繋を密にして組合員の行う争議行為を常時掌握できる体制を整え、毎朝ピケ参加者をスポーツセンター前に集めて指示し、ピケの終了後毎日斗争委員会を開いてその日の出来事を検討し、また本部常駐幹部は各出入口および店内を巡回して(巡回の点後記認定)全般の状況把握につとめ、以つてピケの実施について相当の配慮をめぐらしていたものと認められる。然しながら連日のピケの隊列の中で、しばしば一時的ではあれピケの通路を塞ぐように立ちふさがつたり、旗を垂れ下らせ、あるいは旗竿ピケによりピケの通路を一時的に縮めるような動作がとられ、連日軽微なものとはいえ時に顧客に対する暴行が行われ、また会社に対する悪口が言われるに至つたことは前記認定のとおりである。それが斗争委員らの当初の意図を超えたものであつても、いやしくもピケラインの中で起つたことである以上、前記のような体制をとつているかぎり、当然毎日のピケの状況は斗争委員において掌握し得たところであるから、むしろ斗争委員はこれらの状況を充分把握していたものと推認せざるを得ず、而も、右斗争体制をとゝのえていれば当然適切な措置がとられ得ると考えられるに拘らず、二日より七日まで行われたピケに於いて、これら違法行為を阻止した形跡は認められないから、斗争委員はこれを容認していたものと推認せざるを得ない。

然るときは、斗争委員はこれらピケに派生した違法行為について、その責任を負うべきものと解する。

つぎに、サンドイツチマン、正式領収書要求事件、旗、旗竿の店内持込み、店内における宣伝活動は、前記認定のとおり支援労組員により行われたものが多く、これを斗争委員が企画指導したことについて当事者間に争いがある。

然しながら、前記のとおりの斗争体制を整えていたこと、および、証人羽野透、鈴木義一、豊瀬禎一の各証言、申請人三重野正明本人の供述により認められる、支援労組員の行うサンドイツチマン、領収書要求戦術の実施につき、三重野委員長が慎重に行うよう、その具体的方法を指示した事実、それらの行為がその態様からみて、従来とられたピケツテイングとはその対象、効果を異にする新な争議手段とみられること、さらに、前掲疏明によると、これらの争議手段は、会社側が、団交に応じて争議が早期にしかも組合に有利に解決する見透の薄らいだ事態に対処して、争議に新な局面の展開をもたらすべく、採用されたことがうかがわれること、以上の事実、判断を綜合してみると、これらサンドイツチマン、正式領収書要求、旗、旗竿の店内持込み、店内における宣伝活動等の手段の発案者が支援労組、全岩労、いづれにあつたにもせよ、斗争委員会において、これらの行為を企画、指導したものと推認せざるを得ない。

而も、サンドイツチマン、領収書要求の状況が、かりに当初の企画を超えたものがあつたとしても、前記ピケツテイングにおいて説示したとおりの理由により、斗争委員はその責任を免れないと解する。

申請人らは七月二三日斗争委員会が設置せられるや、斗争委員に就任したことは前記認定のとおりであるから、特別の事情なきかぎり、一応全部が斗争委員として前記違法な争議行為の企画、指導に与つたものと推認せざるを得ず、右特別の事情を認めることのできる疏明はない。

二、企画指導の態様及び個人の行為

つぎに申請人ら各人の斗争委員として違法争議行為に関与した行為の態様ならびに個人の違法行為の有無について判断する。

(一)  申請人三重野正明

(1) 申請人三重野が斗争委員長として争議期間中、常時斗争本部にあつて争議行為全般の統轄に当つていたこと、争議遂行の最高責任者として、支援労組員の行う争議行為について支援労組の責任者との連絡協議を行つていたことは前記認定のとおりである。

申請人三重野正明本人の供述によると、申請人三重野正明は連日各出入口のピケを巡回してピケ隊に指示を与え、店内の状況をも視察していたこと、八月二日、六日スポーツセンター前に集合のピケ参加者に対し、斗争の支持を求める挨拶をしていたことが認められる。

これらの事実を綜合すると、申請人三重野正明は終始本件争議遂行の中心となつて、前記各違法争議行為の企画、指導にあたつていたことが認められる。

(2) 申請人三重野正明が、八柄斗争委員を伴つて八月三日午後二時頃西鉄ホーム中央口より入店し、これを阻止しようとする会社側課長らと押問答し、この間中央口のピケ隊多数が、委員長声援のため店内になだれ込み、一時附近売場を喧噪に陥入れたことは前記(第三(4)のI)認定のとおりである。申請人三重野が故意にピケ隊をなだれ込ましたことを認定できる疎明はないが、争議時の異常な雰囲気の中において斗争委員長が入店しようとすれば、会社側が当然これを強力に阻止しようとし、またこのような事態に至れば入口附近のピケ隊が委員長声援に店内になだれ込むような事態を招くに至ることは、通常相当の注意をすれば当然予測し得べきであつたと考えられるから、申請人三重野は、同人の入店により惹起されたピケ隊乱入による業務妨害の結果につき少くとも過失の責任は免れないというべきである。

(3) 八月四日午後一時、平田斗争委員を伴つて西鉄ホーム側入口より入店しようとし、会社側の制止にあつて、これを声援するピケ隊が出入口から乱入し、附近売場を一時喧噪に陥入れたことは前記(第三(4)のII)認定のとおりである。この際会社側課長に対し吊上げ(脅迫)を行つたことを認めることのできる疎明はない。申請人三重野が故意に右乱入を惹起せしめたものとは認め難い。

しかしながら、右入店により惹起されたピケ隊の乱入とこれによる附近売場における会社の業務妨害の結果については、前記(2)に説示と同様の理による過失の責任は免れない。

(二)  申請人井手哲朗

(1) 申請人井手が斗争副委員長として争議期間中、常時斗争本部にあつて委員長を補佐し、争議行為全般の統轄に当つていたことは前記認定のとおりであり、申請人三重野正明、三重野栄子各本人の供述によると、申請人井手は渉外関係ならびにピケ全般の統轄を分担していたこと、八月二日午後一時頃三重野委員長と店内に入つて各階の状況を視察したことが認められ、前掲乙第四〇、四一号証、証人加藤静江、黒田勝治、糸永清士、井上秋雄の各証言、申請人三重野正明本人の供述によると、連日各出入口のピケを巡回し、三日サンドイツチマンと共に入店していたことが認められる。

以上の事実を綜合すると、申請人井手は申請人三重野正明同様、本件争議遂行の中心となつて、前記違法争議行為の企画、指導に参与していたものと認められる。

(2) ピケ隊の店内乱入に際し、会社課長の吊し上げを行つたことを認定できる疎明はない。

(三)  申請人三重野(堤)栄子

(1) 申請人三重野栄子が斗争事務局長として常時斗争本部にあつて、三重野委員長を補佐し、争議行為全般の統轄に当つていたこと、八月二日より七日まで毎朝スポーツセンター前において、ピケ参加者に対し、経過報告と、その日の行動について一般的指示を行つていたことは前記認定のとおりである。

申請人三重野栄子本人の供述によると、一日一回はピケを巡回し、ピケ隊に、呼びかけの言葉などについて具体的に指示を与え、また時にはマイクで呼びかけを行つたりしていた。

以上の事実を綜合すると、申請人三重野栄子は委員長、副委員長と一体となつて、本件争議遂行の中心となり、各違法争議行為の企画指導に参与したものと認めざるを得ない。

(2) 八月三日入店し、就労中の岩百労組合員に対する説得をしたことは前認定のとおりである。

(3) 八月四日午後一時頃強行入店して、熊谷斗争委員を撮影した会社側従業員に対して、フイルムの返還を強要し、混乱を惹起させて一階鞄売場通路を塞いだことを認定できる疎明はない。

(四)  申請人芳井伸明

(1) 申請人芳井伸明が斗争委員として争議期間中他の斗争委員とともに二日より四日まで北側口、五日以降西鉄ホーム売店口に配置され、右日により異るが特定の入口のピケの統轄を行つたことは前記認定のとおりである。

前掲第二六号証、第三二号証、第四三号証、第五八号証、証人加藤静江、福川靖之助、黒田勝治、江口辰夫、糸永清士、伊藤公孝、中村正信、住山弥太郎、吉富俊吾、佐藤辰雄、野田寅太郎、井上秋雄、横尾信義、郡厳、松本金也の各証言申請人三重野栄子、芳井伸明各本人の供述によると芳井伸明は争議中カメラマンを担当し、連日各出入口のピケを巡回し、しばしば店内に入店したこと、八月五日午後六時店内に入店していたことは認められるけれども、前掲疎明を以つても申請人芳井自身が、八月二、三、四日西鉄ホーム中央口のピケの先端に立つて、通路を頑強に塞いで両手で客の入店を阻止したり、殊更に、争議期間中常時ピケ隊のなだれ込みを指導激励したことを認めるに充分とはいえない。

前記認定のとおり、しばしばピケ隊を巡回したり店内に入店していたこともカメラマンを担当していたことからみて首肯されるところがあり、以上の事実を以つてしては、申請人芳井が斗争委員として他の斗争委員に比して単に入口のピケの統轄とカメラマンを分担した以上に重要な役割を分担し、本件争議を中心になつて推進していたものとは認められず、一般斗争委員と同程度に於いて、本件違法争議行為の企画指導に参与していたものと認めざるを得ない。

(2) 申請人芳井が、八月二日正午西鉄ホーム中央口並びに西鉄ホーム南口で斗争委員数名と共にピケの先端で、メガホンにより入店せんとする客に対し大声をあげ、「労働者の敵は這入りなさい」と威圧を加え入店を阻止したり、ピケ隊を煽つたことを認めることのできる疎明がない。

(3) 証人伊藤公孝の証言によると八月四日午後三時頃申請人芳井は、入店しているサンドイツチマンを店外に出そうと阻止する伊藤課長と対峙して、その際「お前たちは何をするか、はいるのが何が悪いか」といつて口論したことは認められるけれども、相手方が、争議中対抗関係にある会社側課長であり、通常争議時にかかる者との間に、相当激しい言葉のやりとりのあることは遺憾ながらあり勝ちのことであり、またその口論の場所も公衆の出入りする売場通路であることを考えると、口論程度の言葉のやりとりを以つて直ちにいわゆる吊し上げ(脅迫)とみることはできない。また争議団員数名と共に店内で喚声をあげたことを認めることのできる確たる疎明がない。

(五)  申請人平田秀則

(1) 申請人平田が、斗争委員として他の斗争委員と共に二日より四日まで西鉄ホーム側口、五日、六日東側口、七日北側口に配置され、右の特定出入口のピケの統轄を行つていたことは前記認定のとおりである。

ところで、乙第五二、五三号証、証人加藤静江、福川靖之助、黒田勝治、吉原八十吉、江口辰夫、糸永清士、藤野静子、伊藤公孝、中村正信、在国寺平三、住山弥太郎、吉富俊吾、佐藤辰雄、野田寅太郎、井上秋雄、郡厳、松本金也の各証言によると次の事実を認めることができる。

申請人平田は他の斗争委員と共に各出入口のピケを巡回し、八月三日芳井、熊谷、進藤斗争委員らと共に、サンドイツチマンと共に或は自らサンドイツチマンになつて店内を徘徊したこと、八月四日午後三時会社課長の制止をきかず支援労組のサンドイツチマンとともに入店し、また、八月五日、ピケ隊のなだれ込みとともに入店したことは認められる。しかしながら右疎明によると、申請人平田と同様の行動は他の斗争委員(例えば進藤、八柄、柴田明美)も行つていることが認められ、特段の事情なきかぎり右事実のみを以つてはまだ、申請人平田が他の斗争委員に比して、各出入口毎のピケの責任分担以上に争議中重要な役割を分担し、本件争議を中心になつて推進していたものとは認められない。従つて、右特段の事情を認めることのできる疎明がない以上、一般斗争委員と同程度に於いて、本件違法争議の企画、指導に参与していたものと認めざるを得ない。

(2) 八月三日午後三時東側口から入店し、一階商品券売場附近で、これを阻止しようとする糸永課長に対し、「課長だからといつて大きな顔をするな」と言つたことは認められるけれども、右事実を以つては前記(四)(3)説示のとおり脅迫とみることはできず、体当りで同課長を押しまくつて暴行したことについては認定できる疎明がない。

(3) 八月四日午前一一時の課長吊上げ事件については、これを認定できる疎明がない。

(4) 八月四日午後一時三重野委員長に随伴し、西鉄ホーム側入口より入店しようとし、会社側の制止にあつて、これを声援するピケ隊が出入口から乱入し、附近売場を一時喧噪に陥入れたことは前記(第三(4)III)認定のとおりである。この際会社側課長に対し吊し上げを行つたことを認めることのできる疎明はない。

申請人平田が故意に売場を混乱させたことは疎明がない。しかしながら、右入店により惹起されたピケ隊の乱入と、これによる附近売場における会社の業務妨害の結果については前記(一)(2)説示の理由により少くとも過失の責任は免れない。

(六)  申請人熊谷高信

(1) 申請人熊谷が斗争委員として争議期間中、他の斗争委員と共に二日より四日まで東側口、五日六日西鉄ホーム側入口、七日北側口に配置され右の特定出入口のピケの統轄を行つていたことは前記認定のとおりである。

ところで、前掲乙第四五号証、第五七号証、証人黒田勝治、吉原八十吉、江口辰夫、吉富俊吾、佐藤辰雄、野田寅太郎、井上秋雄、松本金也の各証言によると、申請人熊谷は右分担した出入口のほか日により北側口、東側口、西鉄ホーム、コンコース口、売店口などで姿がみられ、八月三日芳井、平田、進藤斗争委員らと同様、サンドイツチマンとともに店内を徘徊したこと、八月五日午後五時半頃店内入店中のサンドイツチマンを会社課長が阻止しようとした際東側口から入店して課長と口論したことは認められる。然しながら、たゞ右疎明によると、申請人熊谷と同程度の行動は他の斗争委員(例えば八柄、柴田、進藤)も行つていることが認められるから、申請人熊谷が、他の斗争委員に比して各出入口のピケの統轄という責任分担以上に重要な役割を分担し、本件争議の中心となつてこれを推進していたものとは認め難く、従つて、他の一般斗争委員と同程度に於いて本件違法争議行為の企画、指導に参与したものと認めざるを得ない。

(2) 申請人熊谷が八月二日午前一一時東側口の舖道において、入店しようとする客に対し「入口はあちらです」と西鉄ホーム側を指さしていつたことについては、これを認めるに足る確たる疎明がない。

(3) 申請人熊谷が、八月四日午後一時頃東側口より入店して之を制止する課長との間に紛争を起し、これを撮影した会社側の者に対し「フイルムを出せ」といつて嚇したり、さらにこの者をしつように追いかけて売場を混乱させたことについてはこれを認めることのできる疎明がない。

(七)  申請人牛尾洋一

(1) 申請人牛尾が、斗争委員として争議期間中、他の斗争委員と共に二日より四日まで北側口、五日六日売店口、七日東側口に配置され右の特定出入口のピケの統轄を行つていたことは前記認定のとおりである。

前掲乙第四三号証、第四八号証、第五四号証、証人黒田勝治、糸永清士、吉富俊吾、在国寺平三、江口辰夫、古川茂実の各証言を綜合すると、申請人牛尾は右分担した出入口のほか、日により北側口、東側口、西鉄ホーム中央口でも客に呼びかけをするその姿がみられたことが認められるけれども、右事実のみによつては、申請人牛尾が本件争議において各入口のピケ隊の統轄という責任以上に重要な役割を果していたものとは認め難く、この程度では、他の一般斗争委員と同程度に於いて、本件違法争議の企画指導に参与していたものと認めざるを得ない。

(2) 申請人牛尾が、八月二日午後一時頃北側口において、客を誘導中の会社課長に対し、「貴様邪魔だのけ」「貴様早くゆけ」と怒鳴つて客の誘導を妨げたことについては認めることのできる確たる疎明がない。

(3) 申請人牛尾が、八月二日北側口において出入口にいた古川営業次長の耳元で、メガホンで「帰れ」と怒鳴つたことは認められるけれども、前記(四)(3)説示と同様の理により、右の行為自体遺憾な行為ではあるけれども、これを以つて暴行とみるわけにはいかないと解する。

(八)  申請人今泉英昭

(1) 申請人今泉が斗争委員として争議期間中、他の斗争委員と共に二日より四日まで売店口、五日六日北側口、七日西鉄ホーム側入口に配置され右の特定出入口のピケの統轄を行つていたことは前記認定のとおりである。

ところで、証人井上秋雄、福川靖之助、黒田勝治、吉原八十吉、糸永清士、吉富俊吾、佐藤辰雄、野田寅太郎の各証言を綜合すると、申請人今泉は他の斗争委員とともに、争議中、日により、北側口、西鉄ホーム側各出入口において客に呼びかけをする姿がみられたことが認められるけれども、右の事実のみによつて、申請人今泉が、各出入口のピケ隊の統轄という責任以上に重要な役割を果していたものとは認め難く、この程度では、他の一般斗争委員と同程度に於いて、本件違法争議の企画指導に参与していたものと認めざるを得ない。

(2) 申請人今泉が八月二日午前一一時より午後一時の間西鉄ホーム売店口に張られたピケ隊の極めて狭い通路の間を、故意に往復して客の入店を阻止していたこと及び同日店内六階を徘徊していたことを認めることができる確たる疎明がない。

(3) 申請人今泉が八月三日午前一一時頃、西鉄ホームコンコース口より、課長の制止をふりきつて入店し、店内を徘徊したことは前顕吉富証人の証言によつて認められるけれども、それによつて如何なる会社の業務が妨害されたかについては何等の疎明もない。

(4) 八月二日又は三日、午前一一時半頃、吉富課長が西鉄ホーム売店口のピケの先端にいつたところ、申請人今泉がピケ隊一〇数名と共に取囲んで同課長の吊上げ(脅迫)を行つたことを認めることのできる確たる疎明がない。

三、就業規則の適用

右認定した申請人らの各(1)の行為は就業規則第八二条九号、第八一条六号、一二号に該当し、申請人三重野正明の(2)(3)、同三重野栄子の(2)、同平田の(4)の行為はそれぞれ同第八二条九号第八一条六号、一二号に該当するというべきであり、これに前示申請人らの本件争議における立場等諸情状を合せ考えれば、申請人三重野正明、同井手、同三重野栄子は右(1)の行為のみで懲戒解雇に相当し、その余の申請人らについては、(申請人平田については、懲戒処分時に示されなかつた(4)の行為の存在が主張され得るものか否かは別として、それが主張され得るとしてそれを合せてみても)これを以て同申請人らを被申請人の企業から排除しなければならない程悪質重大であるとはいい得ない。

以上のとおり申請人三重野正明、井手哲朗、三重野栄子に対する本件懲戒解雇処分は有効であるが、申請人芳井、平田、熊谷、牛尾、今泉に対する本件懲戒解雇処分は就業規則の適用を誤つたものであつて、無効のものというべきである。

第六権利濫用および不当労働行為の主張について。

申請人三重野正明、井手哲朗、三重野栄子の行為が、懲戒解雇事由に該当することは前記説示のとおりであるから、他に特段の事情なき限り、右就業規則を適用してなした本件懲戒解雇を以て、解雇権の濫用と目すべきではないと解するところ、本件においてはかかる特段の事情は認められない。

よつて、申請人の権利濫用の主張は採用しない。

また、申請人三重野、井手、堤に対する解雇は、本件争議行為および個人の行為が違法であることを理由になされたものであり、そして前説示のとおりその違法部分のみを捉えても懲戒解雇を相当とするのであるから、これをもつて不当労働行為ということはできない。よつてこれが不当労働行為であるとする申請人らの主張は理由がない。

第七、本件仮処分の必要性

一、申請人目録記載(二)の申請人について

右申請人ら六名に被保全権利の存否の判断はまずおき、その仮処分の必要性について考えてみると、申請人らの主張する、被保全権利は、被申請人において既に支払義務があるに拘らず右支払をしなかつたとする休職期間一五日分の賃金の支払を求めるものであつて、通常の金銭債権と何等かわるところがない。然るときは、申請人らが、右本案の確定判決までにこれを実現しなければ著しい損害を蒙る事情について特段の疎明を要すべきところ、申請人らは何等の疎明を提出しない。

従つて本件仮処分の必要性が疎明されない以上、被保全権利の存否について判断するまでもなく、申請人らの本件申請は理由がないから、却下を免れない。

二、申請人芳井、平田、熊谷、牛尾、今泉について

右申請人五名が何れも前記のような無効な解雇によつていわれなく従業員としての地位を否認されることは、賃金収入を唯一の生活の資としている労働者たる申請人らにとつて、その受ける有形無形の不利益ないし損害が甚大であることは容易に推認し得るから、右申請人らの地位保全をはかる本件仮処分をなす必要性があるものというべきである。

第八、結語

以上のとおりであるから申請人らの本件仮処分申請は、申請人芳井、平田、熊谷、牛尾、今泉の各申請につき理由あるものと認め、保証を立てさせないでこれを認容し、その余の申請人らの申請は失当としてこれを却下することゝし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第九三条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 中池利男 野田愛子 吉田訓康)

(別紙申請人目録省略)

(別紙図面)

本館一階見取図〈省略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例